渚を遠ざかってゆく人
波が走ってきて、砂の上にひろがった。
白い泡が、白いレース模様のように、
暗い砂浜に、一瞬、浮かびでて、
ふいに消えた。また、波が走ってきた。
イソシギだろうか、小さな鳥が、
砂の上を走り去る波のあとを、
大急ぎで、懸命に追いかけてゆく。
波の遠く、水平線が、にわかに明るくなった。
日がのぼって、すみずみまで
空気が澄んできた。すべての音が、
ふいに、辺りに戻ってきた。
磯で、釣り竿を振る人がいる。
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光につつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
もう、鳥たちはいない。
潮の匂いがきつくなってきた。
陽が高くなって、砂が乾いてきた。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。
長田 弘 『死者の贈り物』(みすず書房)
白い泡が、白いレース模様のように、
暗い砂浜に、一瞬、浮かびでて、
ふいに消えた。また、波が走ってきた。
イソシギだろうか、小さな鳥が、
砂の上を走り去る波のあとを、
大急ぎで、懸命に追いかけてゆく。
波の遠く、水平線が、にわかに明るくなった。
日がのぼって、すみずみまで
空気が澄んできた。すべての音が、
ふいに、辺りに戻ってきた。
磯で、釣り竿を振る人がいる。
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光につつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
もう、鳥たちはいない。
潮の匂いがきつくなってきた。
陽が高くなって、砂が乾いてきた。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。
長田 弘 『死者の贈り物』(みすず書房)
「ひとのいちばん大事なものは正しさではない。」
この1行が心に深く刻まれ
この1行に打たれて買った詩集です。