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「広告とは批評行為である」天野祐吉

天野祐吉氏といえば22歳、就職活動のときの体験が忘れられない。
リクルートの就活生相手の催しで天野氏を招聘していたので、それ目当てに参加したのだ。
 
曰く 「広告とは批評行為である」
  
ここにガラスのコップがあるとする。
コレ自体はガラスでできたモノに過ぎない。
しかしこれを「コップ」と名付けることで用途が提案されたりする。つまりこれは批評行為なのである。
 
といったような要旨のことを云われたのを記憶している。
 
この言葉は ひろさちや氏の「般若心経」生き方のヒントの中のあるシーンと私の中でシンクロする。
  
簡単に書くとこんなエピソードだ。
 
山の中の庵で質素に暮らす僧のところに旅人が訪れ、一夜の宿を願い快諾される。ところが旅人は仰天する。
食事のときに出された器は、旅人に足洗い用に供されたものと同じだったからだ。
しかし僧にとっては 器は器でしかない。
洗っているのだから何の問題もない。
そこに足洗用だの食事用だのという属性をつける意味を感じない。
 
「意味付け」とは、色即是空の「色」の部分だ。


天野氏の「広告とは批評行為である」というフレーズの中の「批評行為」とはすなわち「意味づけ」ということであろう。 正確に言えば「特定の意味付けを提案する試み」である。 般若心経では意味づけを是とせず、そこからの解放が解脱何だと思うが、天野氏は人間主義だから、そういった「まがまがしさ」や「いかがわしさ」を人間の面白さとして肯定してゆく人だったと思う。
 
そして 解脱してしまったらこの世のあらゆる「表現行為」は意味をなさなくなるはず。「表現行為」とはまさに解脱の真逆をいく欲求の現れですから。

PDFだが、こちらの書評は非常に面白い。『私説 広告5千年史(新潮選書}』
http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_47_04.pdf

紀伊国屋オンライン:『私説 広告5千年史(新潮選書}




テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒猫
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10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
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八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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