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火の鳥

高校生の頃、手塚治虫の「火の鳥」を初めて読みました。
原始時代に火口の奥で暮らす一家のシーンがありました。
若者が火口を内側からよじ登って外に出ようとする。
途中であまりに苦しくて自問自答する。手を離そうとする。
そこに火の鳥があらわれ、彼の問に
「あなたは今生きているのだから生き続けなければならない」 と囁く。衝撃的でした。

「意味」 などは元々存在しない。 
あらゆることに「意味」を求めるのは、人間という不完全な生物の病だろうか?
意味を求めなければ苦しみはないのだろうか?

猫も鳥も「意味」にしばられず、ただ”今”を生きているように見える。
人はそのようになれない生き物らしい。 これは自分自身を振り返り常日頃思うことだ。
「般若心経」は、だからこそ、ものごとへの意味づけ(「色」)を捨て去った「空」を夢想してみせるのだろう。

 
少女の頃に出会った、生と死の象徴である手塚治虫の火の鳥の言葉は、
その後ずっと自分の心の底で密かに響き続けている。
 

吉野弘の詩ではないが、生まれるということが英語では受動態なのは象徴的だ。
I was born.  
人は生まれさせられる。 自分で選んで此処にいるわけではない。
そして、有無をいわさずそこに在ることになってしまったからには
命をもぎ取られる時まで生き続けるしかないのだなぁと。

 
ならば生きることは 「諦め」か?
そう感じる瞬間がある。
不思議なことに、自分は、生きることの「意味」を問うたことはない気がする。
なぜ生きなければならない?と考えることはなかった。
もういいです、もう余命を返上しますから、あの人とアノ人と猫に分配してください、と神様にお願いすることはあっても。
  
神様がまだ私の余命を所望しないから、
なかば諦めのような気持ちで「あの角までとりあえず」と思いながら、
のろのろと足を進めている
 
きっぱりと「あなたは生き続けなければならない」と私に言い渡し、背中を押してくれる火の鳥がいてくれたらいいのに。
 

 


      自作詩と随想  目次


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No title

はじめまして。

生きることを、自ら手放そうと思ったことは一度も
無いのですが・・・

ふっと。。こちらでいう「火の鳥」を私は探し続けている
のかもしれないと・・・。

いくつか読ませて頂き、どれも心の奥に触れられたようでした。

ありがとうございました。
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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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