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「私たちは皆、無自覚に病んでいる」

山本文緒の「シューガレス・ラブ」という短編集を読んだ。
そのなかの一編 「秤の上の小さな子供」 より。



登場人物は柊子と美波という二人の女性。
二人は大学時代の友人だったが
ある日 街で再会する。

美波の現在の職業はソープ嬢。


美波は昔から並はずれてデブだった。
それなのに 学生時代から何故か男にもてた。
納得がいかない柊子。柊子は必死のダイエット中なのである。


美波のことば。

   「ねえ、本当に面白いわね。
    もてたかったら 痩せろって 世の中は女の子を煽ってるじゃない。
    雑誌でもエステの広告でも。
    でも、痩せてようと太ってようと 美人だろうとブスだろうと、
    もてない女はもてないの。」

柊子 「美波はもてるものね」

美波 「そうね。私には自分がないから」

柊子 「?」


美波 「ねえ、私が今まで会った人の中で 
愛されたいって思ってない人は一人もいなかったわ。
    男も女も、あなたもそうよ。皆愛されたがってるの。
    話を聞いてほしくて、 肯定してほしくて、
    頭を撫でて可愛い可愛いって言ってほしいの。

    だから私はそれをしてあげる。 ただそれだけのことよ。

    世の中には愛されたがってる人ばっかりで、
    愛してあげられる人はほんの少ししかいないの。
    貴重がられて当然よ。」




柊子は、痩せさえすれば、
テレビなどで見かける女の人のようになれば   
自分も幸せになれると思っていた。
だけど 彼女は結局のところ  18のときと変わらず
何も持っていない不安な、孤独な子供のままだった。

少しでも太ったら  もっと失ってしまうような気がして
食べ物が喉を通らなかった。

彼女は疲れ切っていた。


美波を通して 柊子はやっと気付いた。
自分がこんなにも飢えた子供だったことに。
それなのに
どうやってものを口にしたらよいのかわからないのだ。



  そして小説のなかの「柊子」は語る。(以下引用)



美波にしても ただ単に「もてている」だけなのだ。
彼女は穴の開いたバケツのようなものだ。
いくら入れてもいっぱいにならない。
そして人がものを入れなければ、彼女はタダの外側だけなのだ。
自分がない、ということはそういうことだろうか。




この一編は強烈に私の印象に焼き付いた。

美波のいう、それは ほんとうに  「愛する」 ということだろうか?


自分のない人に  話を聞いてもらって、
片っ端から肯定してもらって、
頭を撫でて  可愛い可愛いって言ってもらうこと、

穴の開いたバケツに 自分という液体を ありったけつぎ込ませてくれること、



それが「愛されること」だと  あなたがたは錯覚しないほうがよい。

もちろん それが「愛すること」だとも。




2006年初稿




      自作詩と随想  目次

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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