理屈っぽい小学生

小学校の時。

理科で人間が色を知覚するしくみについて習った。

人間の目が特定の波長の光に感応して、「赤」く見えたり「緑」に見えたり、というやつ。
小学生だった私の悩みはその日から始まった。

光線のなかのある波長のものを反射するから、ある特定の色と感じるのなら、
私が赤いと言っている色は、本当はどんなものなの?

自分が赤と呼んでいる色と、
他の人が赤と呼んでいる色は本当に同じなの?

私が感じているのと同じような色に
他人が感じている保証はどこにもないのでは?

色だけじゃない、
知覚というものがそういうものならば、
物質の本体を確認するには何に頼ればよい?
あらゆる知覚は脳の情報処理を経てから認識されるわけで、
それならば
そういう情報処理を経る以前の物体の「すがた」は確認できないではないか?

私の「青」は
あの人の言っている「青」とは違うかもしれない。



では あの人と私が「青」というコトバでやりとりして了解したつもりになっているのは
幻想かもしれないわけだ。
なにもかもが相対的で不確かなのだ。



私は自分なりの納得できる答えが見つからない問いに対して何年でも考え続ける癖がある。
「まぁいいや」と看過できない。
要は「執念深い」のだ。


さて、そうやっていつまで悩んだろう。


14~5歳の頃だったろうか? 自分なりに納得したのはこのような解釈だ。


私にとっての「青」と
あの人にとっての「青」は、
言葉は同じでも
指し示す意味が食い違うかもしれない。
しかし
私にとっての「青」と
私にとっての「緑」は
絶対的に異なる。
つまり、その差分だけは
確実にこのふたつの間には距離があり差がある。

だから・・

少なくとも、その差の分が存在する、ということは
揺るぎないものと信じてもよいのではないだろうか?



といったようなこと。


ああ、なんと理屈っぽい少女だったろう。
今もこのしつこさは健在ではあるが、
少しはいいかげんになれたかもしれない、と思う今日この頃。



そういえば、母親が言っていた。

幼児期に私が言ったという台詞。

「神様は氷のお城に住んでいる。
 神様がいるかいないかは
 そこに行ってみなければ
 わからない。」




やはり随分と理屈っぽい幼児だったらしい。
しかし、かわいくないね。





初稿 2005年


      自作詩と随想  目次


 

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒猫
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10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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