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「感受性の領分」<長田弘>より

人と話すことは、喋ることではない。
人の言葉のなかにある沈黙を受けとる、ということだ。





100%のイエス、でなければ100%のノーという考えかたは、信じることができない。
あれかこれかという二分法の思考でことを簡単にすることは、
どんなにたやすくとも、たやすいぶんだけ、
言葉をうそハッタリにしてしまう。
言葉の材料は、51%のイエスと、そして49%のノーなのだ。
信じられるのは、49%のノーを胸に、51%のイエスをいおうとしている言葉だけだ。




ひとの記憶のなかにある「もし」。
その確かめようもない「もし」という記憶が
しばしばひとの人生のなかの空白をみたすのは、
記憶という知覚の官能のなかでは、「ありえたもの」と「ありえないもの」とがたがいに浸透圧をもつために入れかわりうるからだ。
ひとのもつ記憶は、「もし」によって癒され、「もし」によって傷つけられている。

 



テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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