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子供は親を選べない。

人格の基礎は親子関係が基盤というお話。
(ちょっと重たいけど!)

さて当然ですが、子供は親を選べない。
そして子供は親がいなければ生き延びられない存在でもある。

自分の母親は何割か「毒」でした。

うちは女2人に7年離れて男の子の3人きょうだいでした。
私は2番め。「また女」とがっかりされた立場。
ただ、姉と違って私は幼稚園時代から何かと目立つ子で
お遊戯会でも主役、オルガン教室でも一番、
小学校にあがったらお勉強も一番。
チェロを初めたらトントン拍子。
ランドセルは「黒」。

おそらく「長男」の代替で育てられました。
母親の干渉(NOT愛情)だけは凄まじく、潰される瀬戸際。
高校受験前に「音高は行かない。普通高校に行く」と血みどろの衝突で自我を押し通した後も報復措置が何年も続きました。
二言目には「子供なんかいらなかった。」「子供がいなければ離婚した」。

私の思春期の潜在意識は、
親に愛されたい、親に必要とされたい、
「お前がいてよかった」と思われたい、そういう本能的な飢餓感に覆われていたのだと思います。
でも、当時は深層に隠されて自覚しなかった。
   
その飢餓感は一生 私の心の底辺に残ってた気がします。

ですから自分の青春時代は心底きつかったですね。
   

その苦しさと対峙し乗り越えるために精神分析や心理学やカウンセリングの書籍をむさぼるように読みました。
カレン・ホルネイの「自己分析」という本は最初に私を救った本でした。
次にR.D.レインのいくつかの書籍。
特に「自己と他者」は自分との向き合い方、人との向き合い方を根本から変えたかもしれません。
分析からスタートし最終的に河合隼雄のカウンセリング系の本に行き着いてようやく色々と整理がつけられた感があります。
   
  
振り返れば。
  

分析の過程で 母親の精神分析も私なりにしてきて、
母親がなぜそのような事になったかを理解しようとしたことは大切なことだったと思います。
母親の生い立ち、幼い頃からどんな思いと経験を重ねてきた人であるか、父との出会い、いろんな「歴史」をひもとき仮想のカウンセリングをしてゆく。
同時にネガティブな感情を吹き飛ばし後とに自分の中に残る彼女への評価すべきいろんな記憶を丁寧に思い起こして「良いカード」として目の前に並べて行く。

人への評価は常に公平でなくてはなりません。  
    
 
憎悪(当時 憎悪したのは事実です)の対象を精神分析して、
相手と相手を憎悪する自分の理解をすることでのみ、
憎悪を乗り越え最終的に解脱することができるのだと思いました。
許さなくてもよいが理解する。

憎むという事は「対象を求めて得られない何か」を抱えていることです。
愛憎表裏一体とはよく言ったものです。
===
何を求めていたかを受け入れること。
何に飢えていたかを理解すること。
==
知性によって正しく自分や対象と向き合い、
客観的なもう一人の自分を確立することでのみ自分の苦しみから自分を解放できるだと思います。
 
  
母が死んで4年半たちました。
昔良く見た「蜘蛛の巣」の悪夢も見なくなりました。
そして私は母をこれほどに愛していたのかと
今は静かに懐かしく振り返っています。

母にもう一度桜を見せてあげたかった。

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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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