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子供は親を選べない。

瀧波 和賀さんという方の書いたこちらの文章、 なんとも印象深い内容ですね。


母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった


私の母親は死んだ今振り返れば ここまでの毒親ではなかったですが 少なくとも大学ぐらいまでは私にとっては十分に毒親だった部分がありましたので、非常によく分かってしまう自分がいます。
    



私は次女で真ん中っ子。
姉は「最初の子」だし 弟は「最後」かつ「待望の息子」。
ただ私だけは幼稚園時代から何かと目立つ子で
お遊戯会でも主役、オルガン教室でも一番、
小学校にあがったらお勉強も一番。
  
母親の干渉(愛情ではなく)だけは凄まじく
高校受験前に「音高は行かない。普通高校に行く」と血みどろの衝突で自我を押し通すがその後もまあご想像におまかせしますが相当なものでした。
  
子供の頃からインプットされている母親の言葉は「子どもなんかいなければよかった」「お前たちがいなければ離婚してる」でした。
私の思春期の潜在意識は、この彼女が書くように 親に愛されたい、親に必要とされたい、「お前がいてよかった」と思われたい、そういう本能的な飢餓感に覆われていたのだと思います。そう。そのときは深層に隠されてた。
   
   
…だって 子供なんて親に承認されなければ 命すら危うい存在ですからね。

その飢餓感は一生 私の心の底辺に残ってた気がします。

ですから自分の青春時代は心底きつかったですね。
   
  

その苦しさと対峙し乗り越えるために精神分析や心理学やカウンセリングの書籍をむさぼるように読みました。
カレン・ホルネイの「自己分析」という本は最初に私を救った本でした。
次にR.D.レインのいくつかの書籍。
特に「自己と他者」は自分との向き合い方、人との向き合い方を根本から変えたかもしれません。
分析からスタートし最終的に河合隼雄のカウンセリング系の本に行き着いてようやく色々と整理がつけられた感があります。
   
  
振り返れば。
  

分析の過程で 母親の精神分析も私なりにしてきて、母親がなぜそのような事になったかを理解しようとしたことは大切なことだったと思います。
母親の生い立ち、幼いころからどんな思いと経験を重ねてきた人であるか、父親との出会い、いろんな「歴史」をひもとき仮想のカウンセリングをしてゆく。
同時にネガティブな感情を吹き飛ばしたあとに自分の中に残る彼女への評価すべきいろんな記憶を丁寧に思い起こして「良いカード」として目の前に並べて行く。
人への評価は常に公平でなくてはなりません。  
    
 
憎悪(当時 憎悪したのは事実です)の対象を精神分析して相手と相手を憎悪する自分の理解をすることでのみ、憎悪を乗り越え最終的に解脱することができるのだと思いました。
    
   
憎むという事は対象を求めて得られない何かを抱えていることです。愛憎表裏一体とはよく言ったものです。
===
何を求めていたかを受け入れること。
何に飢えていたかを理解すること。
==
この著者は知性によって正しく自分や母親と向き合い、客観的なもう一人の自分を確立したことで 自分の苦しみから自分を解放したのだと思う。
 
  
母が死んで4年半たちました。
私は母をこれほどに愛していたのかと今は静かに振り返っています。


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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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