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刻印

なぜ 今さら私は泣くのだ
心に刻まれた刻印


一度彫ったら 一生消せぬ刺青のように
ヒリヒリする空虚な言葉
まるで醜い傷跡のような。



バッハは自分のための音楽だ
そう言った
モルゲンが好きだと言った
あの涙のでるほど美しい旋律を


私は
私の傷痕を燃やし尽くさねばならぬ
誰にも知らせることなく


わたしは、あの物語の
「おさかな」だ
夢の中で誰かが私に会いに来るといったから
待ってしまったけれど
とうとう待つのをやめて
泳ぎ去った、おさかな


あの部屋は 空っぽの海
片付けず
鍵もかけず
サンダルばきで出掛けたまま
帰らぬ主 それが私


さよならという言葉すら置き去りに
私は ただ
パタンと本を閉じた
分厚い本を



開けたままの窓から時折吹く風が
ページをめくるけれど
もう
どこまで読んだのか
物語が終わったのかすら
誰にもわからない



もうすぐ 痛みの秋が来る


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テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

WE(僕たち)ではなくて I(私は)

一人称をきちんと責任をもって使う人がいい。


私は人が無意識に使う単語、表現、言い回しを観察する癖がある。


「僕は」といえばいいところを「僕らは」といわれると、引っかかる。

「みんなそうでしょ」
「普通は」
といった言い回し同様、気になる


「僕ら」って誰と誰と誰よ、名簿出してみろよ、と内心思う。
全員の同意もらって「僕ら」って表現を使っているのか。

「みんなそう言ってる」、、、だから、誰と誰と誰がそういってるのか言ってみろよ。
そう思う。


こういった言い回しは発言の責任の所在を曖昧にする「逃げ」だと思っている。
あるいは、「僕ら」と「あなたがた」との間に線を引こうとする排他精神である。


実際には「全員」の了承を取ってないんだから、
「僕は」「わたしは」という一人称できちんと語るべきだと思うのです。


そうすることで見えてくるものがあると思わない?

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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