スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

9月

美しい秋が来る
街路樹がまた紅く染まる
私はまたひとつ死に近づく

父が逝った月
あのひとが去った月
私が崩れおちた月
 
9月は悲しい月



「行かないで下さい おねがいです
 行かないで
 おねがいです」
 
 
わたしは まだ ここに居る

 
ことばが ぐるぐると
私の中をめぐりつづけ
かなしみを
掘りおこしつづける
 

なすすべもなく
ただ毎日が果てしなく苦しいだけだ

 
肌寒い 秋の空気に
陽射しが 部屋の奥まで入る 9月
死の影がしのびよる
秋の初め
 
 

スポンサーサイト

テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

父よ。母よ。弟よ。

父を亡くしたのは 去年の秋口(※注)のこと。

この春 父が世話人をしていた詩の同人誌から、追悼集が出た。
それを知ったのは ごく最近だった。
弟が 生前の父に託されて、詩人達と連絡を取り合いながら話を進めたということだ。
詩人としての父を、
弟よりも多分愛していたと自負している「娘」は
最期の仕事に関わる機会すら与えられず、
その間 静かに無視された。


突然 受け取った その遺稿集には 
「遺族からの寄稿」ということで
母と弟の文章が載せられた。


私 は 遺族ではない。 
私 は 父の 後継者 ではない。
詩のひとつも縁がなかった弟に 
父は 詩人としての自らの「その後」も託してしまった。


私 は 疎外された存在。
そんな悔しさが 静かにわきおこる。
何度も味わった この種の疎外感。
それは いつから 宿ったか。


まず、姉が生まれ、3年後に 私が生まれた。
「また女」と落胆された。
しかし 私は ある年齢まで 「長男」として育てられたように思う。

勉強もできたし学校でも目立っていた。
音楽をやらせたらやらせたで、どんどん上昇気流に乗った。
だから。
たしかに ある時期まで 男 として 育てられていた。 
母親に。
(拙稿「黒いランドセル」参照)


7年後 弟が生まれた。 待望の「長男」の誕生。
産院から帰る父親は小躍りしていたそうだ。


「長男」が高校生になる頃 娘 は 少しずつそれまでの役割を剥奪された。
それはそうだろう。本物の長男が登場したのだ。
代替品にはもう用はない。


静かな疎外 が始まる。


・・・・大学。

私が本命の国立に落ち、
滑り止めの早稲田に合格したとき、母親は何と言ったか。
『国立に落ちたんだから就職しろ』の一点張り。
父親の取りなしで どうにか大学に入ることができた。

・・・・就職。
現役合格、留年なしで卒業して、いわゆる「一流企業」と呼べるところに就職した。
これで母親にも認めて貰えるのだろうかと たぶん私は思ったはずだ。
母親のご機嫌取り。
そして 社内結婚。

そのころ 弟の大学受験を迎える。

弟は いつも 私の後を追っていた気がする。
高校受験のときは 私の行った高校を目指したがかなわず、1段下の高校へ。
そして 大学受験。
やはり 目指したとおりにはいかず 2年も浪人生活を送る。
その結果が 明大。


母親は何と言ったか?・・・・・何も云わない。
『男の子なんだから』
何が??
就職しろとは 口が裂けても言わなかった。
私の時とは違って。
2年浪人しただけではない。
弟は その後 ご丁寧に「留年」までしたのだった。

しかし 母は 何も云わない。


・・・・・・・・・・・おそらく 母も弟も 
そういったことに一生無自覚=イノセントなままなのだろう。 
私がこのように心の底にずっと消えぬものを抱えていることなど気づくはずもない。

そう。
疎外は まだ続く。

10年ほど前に父が 
生まれて初めて 分譲マンションを購入しようと
物件探しをしていた頃のこと。 
不動産購入経験が2度ほどある私は、
乞われて、一緒に物件を見につきあったものだ。

ある物件はメゾネット方式になっており、室内に階段があった。

母が ひとりごつ。

「こんな階段があったら、
もし将来 ●●(弟の名)のお嫁さんが
妊娠でもしたとき、危ないわよね」


その台詞を聞いたときの私の心中がおわかりだろうか。
母にも弟にも永遠にわかるはずのない、ショックを。


話せば長くなるが聞いていただきたい。


その1年ぐらい前のこと。
私は切迫流産で大学病院に入院していた。
私の2度目の夫と暮らし始めて半年ぐらいのことだった。
夫は多重債務者だった。
しかもそれは結婚することが決まってから明かされた秘密だった。
内部事情もいろいろあるが、
私は信じた人に手ひどく裏切られたという想いから癒されぬまま、
どうにもならぬほどの借金に追われる生活のさなかだった。
調べてみると夫の多重債務は優に1000万を超えていた。
悪いことに私自身がバブル崩壊で不良債権化した中古マンションのローンを抱えて身動き取れなかった。
経営参加していた社員数名の零細企業は売上が立たず給与も遅配。
しかも夫の(生い立ちから来る)性格的な問題点も明らかになり、
不安のどん底の中での妊娠だった。

私が走り回らなければ会社が回らないのに
入院などしていられる身分ではなかった。
おまけにK病院は大部屋がなく差額の必要な2人部屋。
経済的事情で、
たとえ産んでも 自分ひとりでは 育てられない、という絶望。

それだけではない。
もっと深刻な不安があった。
産んでも 
夫がどう子供に対するのかを想像したら恐ろしくて産むことを躊躇した。
なぜならば夫は崩壊家庭の子息で、父親を激しく憎んでいた。
彼が母親の腹の中にいたときに
こともあろうに実父が
「経済的に無理だから堕胎せよ」と
家計簿を証拠書類に家裁に堕胎を申請したのだそうだ。

父親に殺されかかった子供。それが彼だった。

その憎悪は計り知れなく、
父と息子の間の確執を温存したまま生きる夫は、
生まれてくる子供が万一男の子だったら、間違いなく・・・・・・

もちろん夫は妊娠を喜んではいなかった。


そこへ 見舞いにやってきた母親は、こう言ったのだ。

「あんた、
 自分たちだけでどうにかできないんなら 
 早いうちに始末(=堕胎)しなさいよ。
 親をアテにされても困るんだから」



一生忘れない、その台詞。


あの入院時代は忘れもしない。
病室は2人部屋だったが、
隣のベッドには家族全員から妊娠を祝福された妊婦が寝ていた。

私は孤独だった。
誰も味方がいないと思った。
おそろしかった。


娘には 
子供を始末しろという台詞を平然と吐いた その母親が
当時まだ恋人の影すらなかった弟の 
「未来の赤ちゃん」のことを 心配する。
その残酷さ。

あなたに わかるだろうか。
私の心中が。


・・・・・・・そして 父の入院。死去。
確かに私は一緒に暮らしていない。
だからといって。
やるせないのは、
母も弟も 
まるでそんなことには気づきもしないだろう、という現実だ。



私は この淋しさを どこにぶつけようか。

そう。
そういうときに 心をみつめ
自分を保つために
「書く」ということを
その生き方で教えてくれたのが 父だったのに。


私は 書く。
私は、こうやって コトバに向き合う。

そうすることによってしか、私は私をつなぎとめることができない。

父よ。
母よ。
弟よ。

私は あなたたちから 静かに疎外され 遠くにいる。
遠くで 今日も ことばと格闘している。




2006年初稿

(※注) 2006年時点。父は2005年秋に他界した。





      自作詩と随想  目次



テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

かけがえのない、今

春の美しい時期は、なんと短いのだろう。 


近所に雑木林の美しい散歩道がある。 
天気の良い春の一日に、ふらりとそぞろ歩きで小一時間。 
私の「太陽電池」は それだけでも充電される。
たった5日後にはこの芽吹きの美しさは失われ、濃い緑が浸食してくるだろう。
そう。まぎれもなく「失われる」のである。
私には、それがまるで永遠に失われてしまうかのように胸が痛むのだ。


人は云う。「春は毎年巡ってくるじゃないか」と。
『今年がだめなら来年でいいじゃない。』
気軽に言う。

だけど春は何度でも来る、だなんて ただのレトリック。
「去年の春」と「今年の春」と「来年の春」。
ひとつひとつが、かけがえのない、取り返しのつかないものだ。



こんな感覚におそわれるようになったのは
多分 30代半ばぐらいから。
世間的にはまだ大した年齢ではなかったのに、自然や季節に対してやたらと過敏になった。
春に萌えたつ雑木の散歩道にさしこむ、輝くばかりの木漏れ日の美しさにさえ、たまらず涙ぐんでしまうほど過剰にセンシティブになった。
確かにどうかしている。 

だが、何かが私をせき立てる。 


  このひとときは、取り返しのつかないひととき。
  このひとときは、「いのち」のひとしずく。 
  このひとときに対して真摯であれ。 


この一日が another day と同じだなどと誰が言った。 
one of them だなどと。


そう。
春は年に1度 ”しか”めぐってこない。 
それはどういう意味かというと、
ひとはだれも自分の寿命分しか春を楽しめはしない、ということだ。

それは配給の限られた限られた貴重な『資源』。
あなたは今何歳?
例えば40歳だとしようか。
もし80歳で死ぬならあと40回しか春は来ない。
4000回ではなくて40回。
たったの40回。
1から40までなんてあっというまに数え終わる。
目の前の春はそのうちの貴重な1回。


私がこんなに思い詰めたのだから、75過ぎた父親や母親【注】にとっては、この美しい春はどのように映ることであろうか。


この春、父親は都内各所の桜の名所の公園などに精力的に出かけたようである。
「急がなければ」という気持ちになっているのかもしれない。
最近 しみじみ考えるのは そういうことばかりなのである。


人生に
「かけがえのないもの」
「とりかえしのつかないもの」
そういうものばかりが折り重なってゆく。
ひとひら、また ひとひらと舞い散る桜の花びらのように。



【注】 2005年秋現在 父は病床で寝たきりとなり
    逝く日を数えるばかりとなった。
    父はおそらくもう一度春を迎えることはないのだろう。




2011年追記:

父は2005年9月23日永眠した。二度と春と味わうことはなかった。
本当にあれが「最後」の春になった。




      自作詩と随想  目次


テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

「私たちは皆、無自覚に病んでいる」

山本文緒の「シューガレス・ラブ」という短編集を読んだ。
そのなかの一編 「秤の上の小さな子供」 より。



登場人物は柊子と美波という二人の女性。
二人は大学時代の友人だったが
ある日 街で再会する。

美波の現在の職業はソープ嬢。


美波は昔から並はずれてデブだった。
それなのに 学生時代から何故か男にもてた。
納得がいかない柊子。柊子は必死のダイエット中なのである。


美波のことば。

   「ねえ、本当に面白いわね。
    もてたかったら 痩せろって 世の中は女の子を煽ってるじゃない。
    雑誌でもエステの広告でも。
    でも、痩せてようと太ってようと 美人だろうとブスだろうと、
    もてない女はもてないの。」

柊子 「美波はもてるものね」

美波 「そうね。私には自分がないから」

柊子 「?」


美波 「ねえ、私が今まで会った人の中で 
愛されたいって思ってない人は一人もいなかったわ。
    男も女も、あなたもそうよ。皆愛されたがってるの。
    話を聞いてほしくて、 肯定してほしくて、
    頭を撫でて可愛い可愛いって言ってほしいの。

    だから私はそれをしてあげる。 ただそれだけのことよ。

    世の中には愛されたがってる人ばっかりで、
    愛してあげられる人はほんの少ししかいないの。
    貴重がられて当然よ。」




柊子は、痩せさえすれば、
テレビなどで見かける女の人のようになれば   
自分も幸せになれると思っていた。
だけど 彼女は結局のところ  18のときと変わらず
何も持っていない不安な、孤独な子供のままだった。

少しでも太ったら  もっと失ってしまうような気がして
食べ物が喉を通らなかった。

彼女は疲れ切っていた。


美波を通して 柊子はやっと気付いた。
自分がこんなにも飢えた子供だったことに。
それなのに
どうやってものを口にしたらよいのかわからないのだ。



  そして小説のなかの「柊子」は語る。(以下引用)



美波にしても ただ単に「もてている」だけなのだ。
彼女は穴の開いたバケツのようなものだ。
いくら入れてもいっぱいにならない。
そして人がものを入れなければ、彼女はタダの外側だけなのだ。
自分がない、ということはそういうことだろうか。




この一編は強烈に私の印象に焼き付いた。

美波のいう、それは ほんとうに  「愛する」 ということだろうか?


自分のない人に  話を聞いてもらって、
片っ端から肯定してもらって、
頭を撫でて  可愛い可愛いって言ってもらうこと、

穴の開いたバケツに 自分という液体を ありったけつぎ込ませてくれること、



それが「愛されること」だと  あなたがたは錯覚しないほうがよい。

もちろん それが「愛すること」だとも。




2006年初稿




      自作詩と随想  目次

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

きんもくせい

ああ
そうか
この 香り
 
金もくせいの花の香り

 
ひとはすぐ 去年のことすら
忘れてしまうのに

樹は 律儀に
同じ儀式をひっそりと
くりかえす

誰も みていない 林の奥で

 

   忘れたくなかったことも
   忘れたかったことも

   ふと そよぐ 風のなかで
   仄かに 蘇る

   ちょうど 密やかな 胸騒ぎのように


ああ そうか
この 陽射し
金橙色の 秋のひかり
かぐわしい 金色の無数の花弁
光をまぶした 樹の根元

だんだんに 色濃くなってゆく
黒々とした 影

 
  樹の幹に映る 樹の影
  しのびこむ 夜の気配


  (風が 凪いでも まだ
   いつのまにか ゆっくりと 散ってゆく 光の粒)





   いつのまにか 肺を満たす
   むせかえるような 甘やかな死の香り
   に
   わたしは 立ち去ることもできぬ・・・



30歳のときに書いたもの。
この頃だろうか 「死」がリアルに自分の中に用意されていくものであることを
感じ始めたのは

今心にいつもある無常観のようなものの根は
この頃 すでにできていたのだな

27~28歳にかけて最初の別居/離婚に伴ない
自分の心の中に巣食っていった核のようなもの?


テーマ :
ジャンル : 小説・文学

訪問者
realtime view
現在の閲覧者数:
プロフィール

黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

カテゴリ
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。