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潔い女(ひと)

1990年台前半か半ばのことだったろうか。
「彼女」はとても印象的だった。

私の仕事はいわゆるシステム開発屋さんであったが、
当時は「コンピュータ教育」の項目でもタウンページに登録していた。
「彼女」はそれを見て飛び込みでやってきたのである。
 

それは、ある日かかってきた
「パソコン教えてもらえませんか」
という電話から始まった。

私の会社では、個人相手のパソコン教室はやっていなかった。
電話の向こうの彼女は臆せず続ける。
「お金がないから1日分しか出せないんですが」
 
普通ならば即座にお断りするところだが、
私は彼女の様子にたいへん興味をそそられた。
たまたま手が空いていたから、そのまま話を聞いてみることにした。
結局のところ、1日だけ、しかもたった1万円という破格の料金で
教えられるだけのことを教える約束をしたのである。
これは完全なボランティアである。
その動機は、彼女という人物に対する「好奇心」だった。


そして約束の日、「彼女」はやって来た。
見ると、お腹が大きい。
聞けばアメリカから帰国したばかりという。
彼女は20代後半、配偶者の転勤で日本に戻ることになり、
一足先に住居探しなどのために帰国したそうだ。
もちろんダンナの稼ぎだけでは暮らせない。
パソコンのプライベートレッスンを受けるのは、
日本での就職を少しでも有利にするため。
彼女が渡米前に持っていた僅かなワープロの知識だけでは
役に立たないと思ったのだそうだ。

それはそうだろう。
この世界は日進月歩なのだから。

「でも1日では大したことは出来ないですよ?」
と聞くと、それでもいいのだ、という。
面接で「はったり」をかませられるように、
とにかく付け焼き刃でいいからどうにかして欲しい、ときっぱり述べる。

その迫力にこちらも「やれるだけやりましょう」ということになった。


さて、レッスンの合間に雑談していたところ、
彼女は「足立区」に住む予定だという。
なぜ足立区なのか?
その理由を聞くと、これがまた面白い。



子供が生まれる → 生活できないので自分も稼ぐべし 
        → 子供を預けなければ働けない
        → お金はない
        → 公立の長時間保育園に入れるべし
        → 当然、どこも待機児童でいっぱい


ここまでは皆さんにもお馴染みの状況だろう。
普通はそこでフルタイムを諦めたり、親に泣きついたりするのだろう。
ところが、彼女はその先が普通と違うのだ。


「あちこち役所に電話をかけまくるんです!」


そうやって絨毯攻撃をした結果、足立区でやっと空きを見つけたというわけだ。
かくして、引っ越し先は足立区に決定。 


素晴らしいではないか。
実に明解だ。
私はこういう「潔い」人がとても好きである。
自分の目的が大変明確で、その為のメソッドを無駄なく実行できる。
とても筋が通っていて、聞いていてものすごく気持ちがいい。


お金がないからフルタイムで働く。
面接でハッタリをかますために、パソコンのイロハを1日で身につけようと思う。
そのために体当たりで電話帳片手に予算内で望む結果を与えてくれるところを見つけだそうとする。

予算的にも公立長時間保育園が絶対条件。
だから、保育園が空いている土地に自分の側が移住する。
 
ロジカルだ。


彼女は「実現できないことの言い訳」を絶対にしないだろう。
「地元に空きがないから仕方がない」というのは言い訳で
現実には空きのある土地に自分が移住するという選択肢があるわけだ。
どちらを優先するかの問題であって、優先順位をつけて選ぶ主体はあくまでも本人だ。



誤解しないで欲しいのは、
私はすべての人がそういう選択をすべきと言っているのではない。
地元にいたい ということの優先順位がより高いために、
そのために公立保育園をあきらめる、
またはフルタイム就業を諦める、と、
自らの意志で明確に「選択」するぶんには問題はないのだ。

真の理由をごまかして責任転嫁することが潔くない、と言っているだけだ。

彼女のような人がもっと増えたら世の中は大分住みやすくなるのだが。


彼女は今も何処かで元気良く、彼女の息子か娘と生きているのだろう。
そう想像するとなんだかこちらまで楽しくなってしまう。





余談であるが、いつだったか朝日新聞投書欄である専業主婦の投書を読んだ。
専業主婦優遇策(年金掛け金タダなど)を見直すという政府の方針に対する憂慮の投書である。


「結婚したら退職しなければならない会社だったので、
退職し、今は子供が出来て働けない。 
なのになぜ?
 社会のせいなんだから、
責任取ってくれてもいいじゃない!」



たしかこんな趣旨だったはずだ。
 
つまり自分が現在収入がないのは自分のせいではなく、夫や世の中のせい。


だから、自分の保険料は
有責者である側が負担してくれるのが当然なのに、
なんで後ろ指さされなきゃいけないのだ、
というような感覚である。

思わず、苦笑してしまう。
そして、「足立移住予定の彼女」のことを思い出してしまった。
おそらくこの主婦に彼女のような人のことを話しても、
「そう言う人は『特別』な人なのよ。
皆がそんなに『強い』わけではないわよ」

とでも言うのだろう。
(この辺、内田春菊の「幻想の普通少女」などを連想しつつ書いている。)



彼女は『特別強い人』でもなんでもない。 
自分の人生を自分で選びとって、
それを納得して生きている「潔い人」であるだけである。
「強い」からそうするわけではない。

勘違いしてもらっては困る。


そもそも女子社員は結婚したら退職、
という方針のその会社を選んだのは誰?
 
この主婦は30代前半だったから、時代的には他にも選択肢はあったはず。
本人がOL時代に「いつかは寿退社」と思ってだけのことでは?


百歩譲っても、それで風習に従って会社を辞めたのは【自分が選んだこと】であると何故自覚しない?
世の中にはそういう会社方針に逆らって
自分の意志を貫く女性はいくらでもいる。
選択肢はあったはずだ。
少なくとも 「何か」と天秤にかけて、
角を立てない方を自分が選んだはずだ。


『その方が楽』だから。


だから 「結婚退職」は自分が選んだことであって、誰のせいでもないのである。
結婚したら家に入って欲しいというダンナを選んだのであれば、それも自分の選択。
(もしくは、そういう価値観の男性に
 「私は家庭的よ」と媚びを売ったのかもしれない。)

全ては「自分のせい」である。
世の中のせいではない。
自分が好きで維持している御身分に対して、
なんで他人が保護してやらなければならない?


子供が居るということ自体は、
本来は働けない理由には全くならない。

それで働けないというのは 自分の中に理由があるのである。
決して世の中のせいではない

専業主婦を選んだのが
まるで不本意であるかのような物言いが、中途半端で不愉快である。
いいじゃないの、「専業主婦」で。

「私って働かないですむなら働きたくないし、
 専業主婦の方が向いてると思うからやってるの。」

・・・そう明言すればよいだけである。
但し、自分の趣味でやってるわけであるから、
それをお上や世間に優遇してもらう「権利」があるなどと
思い違いしなければいいだけのことなのである。


そう。それだけのことである。

本来 有職者と無職者は 同等だ。
どっちだっていいのである。

自分が選んだという自覚と責任さえ持てれば。それが自由というものだ。

「お金がある人に 自分の分まで払ってもらおう」
 という発想は、乞食の発想だし、とても意地汚くて嫌いである。
 お金がないなら、稼げばよい。
 単純なことだ。
 あれこれ理屈をつけて言い訳する必要なんかない。
 病気で動けない人は保護の対象になるが、
 健康な人を別に保護する必要はないではないか。


自分のことは自分で。
自分の人生は自分で選び、自分で落とし前をつけよう。


働くも働かないも自分の自由。
だから
その結果生じる経済力格差もまた、
自分の選んだことである。


・・・・たったそれだけのことである。 なんて簡単なんでしょう!

みんな、もっとロジカルになろうよ。



(随分前に書いたものを加筆訂正)



      自作詩と随想  目次


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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

根源的な渇き

子供の頃の思い出というのは、一種のパラレルワールドのような記憶の仕方だ。
みなさんも覚えがあるのではないだろうか?
それは、距離感や時間軸が歪んだ、なんだか不思議な感覚である。 
本当にあったことなのかしらん、と思うような記憶である。

そんな断片的な記憶のなかから、いくつか拾い出してみる。
 
ふたつともクリスチャンの話だ。

小学校5年生のころ、日曜学校に通っていたことがある。
私は今も昔もクリスチャンだったことはない。
単に同級生に誘われて行ってみただけである。


私が通ったのは、地元のキリスト教短大の神学生達が運営している日曜学校だった。
まず教会で聖書を読み、賛美歌を歌い、献金をする。
そのあといくつかのグループに分かれて小さな教室に移り、めいめいに聖書の勉強をするのである。

私の母親は、私がそんなところに通うことにはいい顔をしなかった。
彼女はなんであれ家族が宗教や思想的活動にかかわることを嫌がっていたからだ。

でも私は通った。
神学生のお姉さん、お兄さん達は皆親切で優しかったのを覚えている。
それは子供の私にとって「癒やし」を感じさせるものだったのだろう。

ある時、学生同士の結婚式が学内で催され、
短大の広い庭に敷かれた赤い絨毯の上を、
つつましやかな新郎新婦が歩いていた。
美しくて胸が詰まるような光景だった。
子供達は大喜びだった。
 
「感謝祭」の時期には、施設訪問などのイベントがあった。

私たちの班は、知的障害児などの暮らす施設を訪問した。
一日、子供達を遊んだりするのだが、帰り際に
園児達が門の外まで見送りに出てきて、いつまでも手を振ってくれて、
子供ながら煮胸が熱くなったのを今でも思い出す。
 
また、いつかは 奥多摩で飯盒炊爨というイベントがあった。
世の中にはこんなに楽しいことがあるのかと感激したものだ。
 

こうしてみると、小学校でのイベントよりも
余程鮮明に心に残っているのが不思議だ。 
自分が受け入れられるという安心感がたしかにそこにはあったように思う。
家にも学校にも「居場所」がなかった自分にとって
それは本当に心安らぐ時間だったのだろう。
 
だって、自宅では いつも私を否定し続ける「彼女」と向き合わねばならないのだもの。 
抱きしめてもくれず褒めてもくれない彼女よりも
常にやさしく自分を受け入れてくれる神学生たちは心惹かれる存在だった。
 
今思えば私は、母性的な存在に飢えていたんだろう。
私の母はそういう存在ではなかった。
私は「無条件に自分を受け入れてくれる存在」としての母親を持ったことがなかった。
 


母の抵抗もあり、中学校に行くようになってから自然と足が遠のいたが、あのころの僅かなキリスト教体験というのは色濃く私の精神の基盤にしみ込んでいる気がしてならない。


クリスチャン といえば、もうひとり忘れられない人がいた。


中学2年の時、産休の代用教員として短期間教えて頂いた若い女教師。 
仮にA先生とでもしておこう。

彼女はいつも柔和な笑顔で、穏やかで、まさにマリア様のように優しかったのである。 

当時(20代までだが)私は生理痛が激しく、よく保健室で休んでいた。 
ある日、いつものように激しい生理痛で、私は教室で失神した。
保健室のベッドの中で脂汗をかきながらふっと意識が戻ったとき、
A先生がベッドの横で私の手を握っていてくれたのに気づいた。
胸が熱くなった。言葉が出なかった。
 

そんな体験は生まれて初めてだったのである。


私の母は いつも厳しくて甘えさせてくれたことがない。
「だっこ」の記憶がまるでない。 
看護学校出だから子供が怪我をしようが動じない。
転んで足にひびが入ったときも「またお金がかかるじゃない」と冷たく言われたことしか覚えていない。
たぶん言った本人は何も覚えていないだろう。

でも私にはそれは突き刺さった。
だから私は甘えない子供になった。


A先生のその慈愛に満ちた接し方は、私を妙に揺さぶった。
これまで、束縛、支配といった『悪しき母性』以外知らなかった自分、
『善きもの』としての「母性」について、全く恩恵を受けてこなかった自分にとって、
カラカラに乾いた大地に雨が降るように 
それは強烈に染みこんだのに違いない。


同時に自分もあんな風になれたら、と切なく思ったことを覚えている。 
13~14歳のころの話である。 
 


母とは母が70を過ぎた今なお、確執を感じる。
水と油のように合わない二人の女。
だけど私は彼女を理解していると思う。
なぜなら理解しなければ押し潰され呑み込まれてしまうと思ったからだ。
母親だと思わなければそれでいい。 
 
ただ、「誰かに無条件に受け入れられること」への渇きは
未だに満たされることはない。
人生の最初にきちんと満たされなかったもの欠いたまま生きてくると、
あちこちで不安定さが露呈するのだなと何度も感じてきている。
求めすぎてしまう。
そうしてバランスを崩す。
 
帆の破れた帆船の操縦が困難なように、
いらぬエネルギーを必要とする。
 

この渇きは色々な場面で形を変えながら
いつも自分の心の根底に横たわっていると思う。
 




      自作詩と随想  目次

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

サーカス<中原中也>

幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

  屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗
  夜は劫々(こうこう)と更けまする
  落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん



『山羊の歌』より

テーマ :
ジャンル : 小説・文学

湖上<中原中也>


ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
 
 
沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう、
--あなたの言葉の杜切れ間を。
 
 
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう。
 
 
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでせう、
--けれど漕ぐ手はやめないで。
 
 
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

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ジャンル : 小説・文学

汚れっちまった悲しみに<中原中也>

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
*1
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……






『山羊の歌』より




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ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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