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「感受性の領分」<長田弘>より

人と話すことは、喋ることではない。
人の言葉のなかにある沈黙を受けとる、ということだ。





100%のイエス、でなければ100%のノーという考えかたは、信じることができない。
あれかこれかという二分法の思考でことを簡単にすることは、
どんなにたやすくとも、たやすいぶんだけ、
言葉をうそハッタリにしてしまう。
言葉の材料は、51%のイエスと、そして49%のノーなのだ。
信じられるのは、49%のノーを胸に、51%のイエスをいおうとしている言葉だけだ。




ひとの記憶のなかにある「もし」。
その確かめようもない「もし」という記憶が
しばしばひとの人生のなかの空白をみたすのは、
記憶という知覚の官能のなかでは、「ありえたもの」と「ありえないもの」とがたがいに浸透圧をもつために入れかわりうるからだ。
ひとのもつ記憶は、「もし」によって癒され、「もし」によって傷つけられている。

 



テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

「すべてきみに宛てた手紙」<長田弘>より



ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事になりました。―読むこと。聴くこと。そして、書くこと。物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるえをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまっとことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。



書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。この本に収められた手紙としてのエッセーは、いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を、あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思います。

 
 
 





テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

最初の質問 <長田弘>

  今日あなたは空を見上げましたか。
  空は遠かったですか、近かったですか。
  雲はどんな形をしていましたか。
  風はどんなにおいがしましたか。
  あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。
  「ありがとう」という言葉を今日口にしましたか。

  窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。
  雨の滴をいっぱいためたクモの巣を見たことがありますか。
  樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
  街路樹の木の名前を知っていますか。
  樹木を友人だと考えたことがありますか。

  この前、川を見つめたのはいつでしたか。
  砂の上に座ったのは、草の上に座ったのはいつでしたか。
  「美しい」と、あなたがためらわず言えるものは何ですか。
  好きな花を七つ、挙げられますか。
  あなたにとって「わたしたち」というのは、だれですか。

  夜明け前に鳴き交わす鳥の声を聴いたことがありますか。
  ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。
  何歳の時の自分が好きですか。
  上手に年を取ることができると思いますか。
  世界という言葉で、まず思い描く風景はどんな風景ですか。

  今あなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。
  沈黙はどんな音がしますか。
  じっと目をつぶる。すると何が見えてきますか。
  問いと答えと、今あなたにとって必要なのはどっちですか。
  これだけはしないと心に決めていることがありますか。

  いちばんしたいことは何ですか。
  人生の材料は何だと思いますか。
  あなたにとって、あるいはあなたの知らない人々にとって、
  幸福って何だと思いますか。
  
  時代は言葉をないがしろにしている。
  あなたは言葉を信じていますか。

テーマ :
ジャンル : 小説・文学

きみはねこの友だちですか? (長田弘)

一ぴきのねこと
友だちになれたら
ちがってくる 何かが
もっと優しくなれるかもしれない
ねこは何もいわずに語る
はげしく愛して
ゆっくり眠る
きみはねこの友だちですか?
 
 
 胸のドアを開けなくちゃ
 ねこが きみの
 こころにはいれるように
 胸のドアを開けなくちゃ
 
 
一ぴきのねこと
友だちになれたら
ちがってくる 何かが
もっと自由になれるかもしれない
ねこは生きたいように生きる
ゆきたいところへ
すばやく走る
きみはねこの友だちですか?
 
 
 胸のドアを開けなくちゃ
 ねこが きみの
 こころにはいれるように
 胸のドアを開けなくちゃ
 

<心の中にもっている問題>所収 晶文社 
 

テーマ :
ジャンル : 小説・文学

こんな静かな夜 (長田 弘 )

   先刻まではいた。今はいない。
   ひとの一生はただそれだけだと思う。
   ここにいた。もうここにはいない。
   死とはもうここにはいないということである。
   あなたが誰だったか、わたしたちは
   思いだそうともせず、あなたのことを
   いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
   悲しみは、忘れることができる。
   あなたが誰だったにせよ、あなたが
   生きたのは、ぎこちない人生だった。
   わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、
   どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
   胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
   いったい確実なものなど、あるのだろうか?
   いつのときもあなたを苦しめていたのは、
   何かが欠けているという意識だった。
   わたしたちが社会とよんでいるものが、
   もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
   みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
   わたしたちは、何をすべきか、でなく
   何をなすべきでないか、考えるべきだ。
   冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
   「Conversations With Myself」を聴いている。
   秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
   ここにいた。もうここにはいない。

 

                      長 田 弘





ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにはいないということである。

      なんと 切々と しかし静かなことばだろうか。
      そうなのである。
      死 とは いたものが 今 ここにいなくなる ということ
      ぽっかりと 最初から何もなかったかのように でも
      あなたを知っている私の心の目には
      それは 「あなたが欠けた」空間と映る
      その空白の分が 死。

      そして いずれ わたしも、また。 消えてなくなる。
      あなたの前から。
      私を知っていたあなたも また 消えてなくなる。
      そうして 関係が すべて 空に消えて行ったあとも
      なにごともなかったように
      世界は 進行するのです。


わたしたちは、何をすべきか、でなく
何をなすべきでないか、考えるべきだ。


      このひとの詩には
      いつも はっとさせられることばとの出会いがある。

      「人の品性は
       なにをするか ではなく
       なにをしないか で計られる」
      と 私は思う。 そんなことも 思い起こす。


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ジャンル : 小説・文学

渚を遠ざかってゆく人

波が走ってきて、砂の上にひろがった。
白い泡が、白いレース模様のように、
暗い砂浜に、一瞬、浮かびでて、
ふいに消えた。また、波が走ってきた。
イソシギだろうか、小さな鳥が、
砂の上を走り去る波のあとを、
大急ぎで、懸命に追いかけてゆく。
 
 
波の遠く、水平線が、にわかに明るくなった。
日がのぼって、すみずみまで
空気が澄んできた。すべての音が、
ふいに、辺りに戻ってきた。
磯で、釣り竿を振る人がいる。
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光につつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
もう、鳥たちはいない。
潮の匂いがきつくなってきた。
陽が高くなって、砂が乾いてきた。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。

 
       長田 弘 『死者の贈り物』(みすず書房)


「ひとのいちばん大事なものは正しさではない。」
この1行が心に深く刻まれ
この1行に打たれて買った詩集です。

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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