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自己分析―カレン・ホルネイ

自己分析―精神分析は自分でできる (1961年)
カレン・ホルネイ


18歳の頃に読んだ本ですが、自己分析の手法を専門的に記述してあります。
 
高校時代に心理学の本を読み始め、更に進んで精神分析医の著書を多数読みました。
 
その中でもその後の人生や物の考え方に多大な影響を及ぼした著書がいくつかありますが、
これは間違いなくその一つです。
(他にはR.D.レインの「結ぼれ」「自己と他者」「引き裂かれた自己」、河合隼雄の「カウンセリングを語る」「母性社会日本の病理」などなど)
 

この書籍の中で解説されている自己分析の手法のひとつに「自由連想法」というのがあります。
私は高校時代に自分自身に対してこれを実行してみました。
 

記憶を頼りにやり方のエッセンスをご紹介します。
  

1.大学ノートなどを用意する。
2.自分の人生を遡り、思い出す出来事を、思い出した順に書き綴る。
 
順番は時系列にこだわる必要はなく、頭に浮かんだ記憶を浮かんだ順にただ書き記します。
その記憶にまつわる自分の感情や印象も含め、すべてを書き出します。
これを延々続けます。
何日かかってもかまいません。 

最初は雑多なことがどんどん浮かびます。
これは心の表層部分にあるものたちです。 

大分作業が経過してから、「あれ、あんなこともあったな。結構インパクトあったのになんで忘れてたんだろう」 といったものが出て来るようになります。 
 

最終段階になると、書くのがキツい出来事が浮かんできます。
どうしても書きたくない。書くのが苦痛。
封印したい葛藤と闘わなくては書けないような出来事です。
 

ここからが肝心です。

 
葛藤が大きいもの、抵抗の大きい記憶ほど自分の精神の深層部分、根源的なところに近い重要な出来事です。
 
死ぬまで隠しておきたかったような事も含みます。 


これらも、全て文字にして晒してゆくのです。
かなりキツい作業でした。
あの時のノートは絶対に他人に見られるわけにはいかない、そういう部分まで引きずり出しました。
 

それらのうちで、今となっては完全に客体化されて整理をつけた事柄のひとつを例に挙げてみましょう。
小学校低学年の時に起こした事件です。
 

7歳か8歳かそんな年齢の時と思います。
川崎の元住吉から横浜まで、分数チェロを母親が担いで、チェロを習いに行っていた頃。
先生の住むアパートの屋上に、同じ小学生の生徒仲間数人で上がって遊んでいました。
鉄筋コンクリートのアパートの屋上には、コンクリート礫がいくつも転がっていました。
今だったら考えられないことですが当時はそんなことは普通にありました。 

小さな子供たちにとっては、
子供にはちょっと重いそのコンクリート礫を持ち上げられたらヒーローです。
調子に乗った私は得意げに持ち上げてそれを屋上から投げ落としたのです。
 
そして、屋上から降りたあとに、その報せが来ました。 

私の落としたそれが下に居た若い(多分)女性に当たり怪我をさせたらしいのです。
親に連れられて泣きながら謝りに行った記憶があります。
顔に怪我をさせた、というような記憶だけど曖昧です。
 
おそらく恐ろしい大罪を犯した意識のため、
忘れたい、逃げたい一心でその記憶を私はその時まで完全に封印していたのです。
  

この記憶が浮かんだのは作業が相当進んだあとでした。
 


それだけ深い傷になって隠されていたということです。
子供の私には背負いきれず処理しきれなかったのでしょう。
処理されないままの形で封印された傷は有害です。
 
この自己分析を行ったときそれを感じました。 

これが面白いところなのだけど、
遠い過去の自分の心の問題点に対して、
処理可能になった現在の自分が
時間を遡って、対面し、癒やして解決してあげることが可能なのです。
  

いってみれば、17歳の自分が
タイムマシンに乗って
7歳の自分に逢いに行って
話を聞いてあげて、
ちゃんとカウンセリングしてあげる、
そういう作業が出来るのです。
 

自分以外の誰にもカウンセリング不可能な、自分の心の問題というのが人間にはあります。
結局のところ、自分の心を救えるのは自分しかいない、ということをよく私は感じます。
 


この「自由連想法」はやり方を守れば誰でも出来ることです。
 
心の棚卸しをして、自分の心の全てと対話するのは、
とても大事なことだと思います。
 
 

あなたの中には、
ひとりぼっちで森の中で迷子になっている傷ついた子供は棲んでいませんか?
  

もしいたら、その子供に逢いに行ってください。 

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

大切でなくても大事にすると大切になる話

弟から以前誕生日に貰った小さな蘭の花が今年も咲きました。私はガーデニングはするし植物好きですが実は蘭は趣味じゃないので、貰ったときは「面倒だなあ、こんなものくれて」と思いました。

だって、花が終わったあと長いこと面倒を見なきゃいけない。しかも、外では育てられないから鉢植えのまま。
生命あるものですから、捨てるわけにも行かない。

最初の年は何もせず放置して忘れ去りました(たまに水はあげました)。翌年の春のある日、いつの間にか咲き誇ってるのに気づきびっくりしました。花芽が出来ていたのも見ていなかったから支柱もなしです。

反省してその翌年は、ネットで調べて水苔などを買ってきて植え替えをしました。今度はちゃんと日々気にかけて観察?もしたので、新しい根や、花芽が出たときもすぐ気づきました。支柱も添えました、そして開花。

相変わらず、蘭よりノースポールやネメシアやネモフィラなどを外で育てるほうが好きですが、しみじみ感じたことがあります。

「大切だから世話する、というより、
世話するから大切に思えてくるのだ」

これは以前から感じていたことではあります。思えば「星の王子さま」の「たったひとつの薔薇」への思いも本質的には同じことを言っていた!

その相手のために時間をいっぱい使ったから、それがたったひとつの大事なものになる、ってやつ。

自暴自棄になってメンタルボロボロで浮上できないときには、ありったけの気力を振り絞って兎に角シャワー浴びて髪を洗って、綺麗にお化粧して、ちゃんとした装いをしてみることにしています。そうすると自分を愛せる気がするから。



大切に思えないものであっても大切に扱ってみるのは、人生に良い結果をもたらすかも。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

「一緒に起きよう」

忘れられない文章があります。
高校時代に友人の通う女子校の文化祭に行ったとき、立ち寄った文芸部のブース。
貰って帰った部員の作品集の中にこんな内容の随筆がありました。遠い昔の記憶だけど内容はよく覚えています。

公園の砂場で見かけた光景を綴ったもので、
小さな子と少しだけ年上の女の子のやりとり。
小さな子が転んだか何かで泣き出した。
それを見ていた女の子が駆け寄り、いきなり砂場で転んだ。
驚いて泣き止む小さな子。
女の子は座り込んだまま
にっこり笑って顔を見合わせ、こういった。
「一緒に起きよう」
小さな子は「うん」といって
二人は立ち上がった。

そんなエピソードが心に響く文章で綴られていたのでした。


自分も転んで見せて同じ立場になって、
そして「一緒に起きようか」と呼びかける幼い女の子の行動から受けた衝撃。

すごいな、と今でも思います。
そしてそんな小さな光景をみずみずしい感受性で捉えた、顔も知らない作者の少女へのシンパシー。
彼女は今どんな大人になっているのかな、と想像してみたくなりました。


感受性、大事。


テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

人生初MRI〜老いるということ

昨日は人生初MRIでした。

左目緑内障ごく初期ということで2月から通っている眼科医から、左右の瞳孔の開き方がかなり違うことを指摘されており、一昨日よ再診時に「念の為、脳神経外科で脳由来でないことを確定してもらってください」と紹介状を出され、脳神経外科クリニックを受診したのです。

結果はありがたいことに「異常なし」。
ただし「年齢なりの影響は少し出てきてます」。脳にわずかに隙間が出始めている、とか、うっすら小さな白い点々を指して「これは血管の詰まったところ」

…原因は?と聞けば「まあ、動脈硬化ですね」とショックな言葉。


自分は、内科系では血圧も血糖値も尿酸値も超正常、アブラ系は年齢なりにほんの少しや高め、など比較的「好条件」で、骨密度は20代並みと医者が驚くほどで、これまで特に意識したことはなかったのですが、それでもこの年齢になれば血管などの体組織の劣化は「平等」に出ているのだと思い知らされました。


初めて見たに自身の脳のかたち、脳の中身。
まるでCGみたいだったけど、これが今の私なんだ、と。

そしてそれは耐性年数の終焉に向かって確実に動いている。

住宅みたいにリフォームもできない。
交換も出来ない。

“わたしの「持ち時間」は
すでに
終わりに向かっている。”


帰り道、やたらと死んだ両親の顔が頭に浮かび、逢いたくて泣きたくなりました。


「お母さん、動脈硬化だって。
私も老人になり始めてるんだね」

両親、
死んでいった4匹の愛猫

それは
『逝った者リスト』


そしてそのうち私もそちら側に並ぶのです。


今日は曇り。
湯水のように恵まれた青い空とはお別れな「春」がやって来ました。

いつも目の前の世界が今生最後って思いながら日々を過ごしています。

今日も元気に行きましょう。


テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

決して分かち合えぬもの

3.11
ある人に教えていただいた被災高校生のこの詩をご紹介したいです。
言葉が出てこない。

潮の匂いに。
http://sazanami-books.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-64da.html

>自分のこと しか見えない誰かは響きだけあたたかい言葉で僕たちの心を深く抉る。“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。 “未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。おまえは誰ともつながってなどいない、一人で勝手に生きろと、何処かの誰かが遠まわしに言ってい る。一人で生きる世界は、あの日の海よりもきっと、ずっと冷たい。
[引用ここまで]

これを読んで思い出した出来事があります。上っ面だけの共感の言葉の残酷さ。「スケール」は比べ物にならないのだろうけれど根底にある共通点

高校の卒業式の日の午前2時頃にクラス担任の先生が亡くなりました。数学教師でした。
まだ28歳の若さ、結婚も決まった婚約者を残して。初めての三年生の担任で激務により子供の頃に患った心臓弁膜症が再発し逆流した血液でできた血栓が脳に詰まり昏睡状態のままの死でした。
受験生に動揺を与えないようにという学校側の配慮で入院していたことすら前夜まで知らされていませんでした。
連絡網で事態を知って、当時放送委員長だった私はクラスメイトに頼まれ、先生が楽しみにしていた卒業式の様子を生録して病院に届けようと手配し、朝早めに学校に行ったところで級友より死を知らされました。
クラス全員お通夜のようになり、打ち上げも中止で散り散りに。

そんな中、他クラスの女友達からかけられた言葉を今も忘れられません。

彼女は泣き腫らした眼の私にありったけの同情心に溢れた表情と口調でこう云ったのです。

『気を落とさないでね』

あの時の気持ちは忘れません。
なんという無神経な言葉だろうと。
彼女だってその先生の生徒だったのに。
他人事。永遠に埋まらぬ距離。
不誠実。
黙っていることの方がずっと誠実。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

「広告とは批評行為である」天野祐吉

天野祐吉氏といえば22歳、就職活動のときの体験が忘れられない。
リクルートの就活生相手の催しで天野氏を招聘していたので、それ目当てに参加したのだ。
 
曰く 「広告とは批評行為である」
  
ここにガラスのコップがあるとする。
コレ自体はガラスでできたモノに過ぎない。
しかしこれを「コップ」と名付けることで用途が提案されたりする。つまりこれは批評行為なのである。
 
といったような要旨のことを云われたのを記憶している。
 
この言葉は ひろさちや氏の「般若心経」生き方のヒントの中のあるシーンと私の中でシンクロする。
  
簡単に書くとこんなエピソードだ。
 
山の中の庵で質素に暮らす僧のところに旅人が訪れ、一夜の宿を願い快諾される。ところが旅人は仰天する。
食事のときに出された器は、旅人に足洗い用に供されたものと同じだったからだ。
しかし僧にとっては 器は器でしかない。
洗っているのだから何の問題もない。
そこに足洗用だの食事用だのという属性をつける意味を感じない。
 
「意味付け」とは、色即是空の「色」の部分だ。


天野氏の「広告とは批評行為である」というフレーズの中の「批評行為」とはすなわち「意味づけ」ということであろう。 正確に言えば「特定の意味付けを提案する試み」である。 般若心経では意味づけを是とせず、そこからの解放が解脱何だと思うが、天野氏は人間主義だから、そういった「まがまがしさ」や「いかがわしさ」を人間の面白さとして肯定してゆく人だったと思う。
 
そして 解脱してしまったらこの世のあらゆる「表現行為」は意味をなさなくなるはず。「表現行為」とはまさに解脱の真逆をいく欲求の現れですから。

PDFだが、こちらの書評は非常に面白い。『私説 広告5千年史(新潮選書}』
http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_47_04.pdf

紀伊国屋オンライン:『私説 広告5千年史(新潮選書}




テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

エセ「正義」が嫌い(コロナ騒ぎに寄せて)

貸切り営業の美容院でオーナーとコロナ話しながらカットしてもらってきたんだけども。
同業者同士でもあちこち「かなりキツイ」ってなってると。
「ただ1ヶ月延ばすとか謂われてもさ、じゃあどういう条件になったら緩和すんのか指針出せよなって😡 感染者数これ割ったらとかさあ。ふざけんじゃねーよ」
(当然だよね)  

そこは新宿と目黒の2店舗持っててスタッフ7-8人抱えてる。
前年同月比で24%だって。
(76%減てことよ)
そこはまだ有名店系列だからましな方かも。
 

「固定費はかかるもんねえ」って会話してて、テナントビルごと休業なら家賃かからないけどねえ、それ以外は大屋さん次第だもんねえ、って言ったら、いま大家さんと交渉中なんだって。
「いま10%までは引き出したんだけど正直それじゃ小遣い程度だからね」
「(私)でもさ、それで退去してもこの状態じゃ次のテナント埋まらないじゃん?
大家的にも得じゃないよね?」
「そうそう。たからもう、その辺ちらつかせるしかないと思ってるんだけとね」
「今、不動産屋からバンバン電話かかって来るんだよね。"いい条件で物件ありますよ"ってさ。支店増やしませんかてさ。 まあ、苦しいけど、これを商機と思って勝負かけようかとも思ってるんだよね」
「(私)そのくらいのイキでないと乗り越えられないよね。ガンバレー
 でも移転するとかでも相互に居抜きでもない限りすごいお金かかるよねえ」

「それな」
 
「経済より命」とかしたり顔で言ってる人の大半は、経営者ではない「ぶら下がり」の立場で、自粛とかいわれても所得が致命的には減らない人じゃないかと思ってます。
経済的リスクは社長さんたちが被ってくれてる立場。 
自分達は多少の不自由を我慢すれば良いだけの立場。
 
そして万一勤めてる会社が資金繰りショートして解雇になったとしても手厚い失業保険で1年くらいは食べてける立場じゃないかな?
 
で、そういうとこに勤めてる人の多くは新卒からそういうレベルの環境しか知らないかもね。言わば「箱入り」。 
そして「箱入り」は箱の外を本当にはわからないんじゃないかな。
 
あれは体験するまでなかなか体験としては理解できないと思うんだよなあ。 
 
わからないくせに「経済より命」って詰め寄る「正義」って好きじゃない。

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

ふたつの正義の対立~窮屈で不寛容な世の中

アニメの中でのGWの家族旅行を「不謹慎」と批判したたったの11人の投稿がSNSとマスコミの相互増幅作用でまたたく間に広がる経緯をファクトをもとに分析していて面白い。
しかも炎上は「サザエさん批判した人」を批判する形で広がった。

これを、2つの異なる立場の「正義という名の不寛容」同士の対立と捉えていることが興味をひく。
 
なるほど、確かにそうだ。

片方がアニメ内容を不謹慎と批判する「正義(不寛容)」ならば、「フィクションにまで自粛を求めるとは、なんて窮屈だ」とそれを批判したのもまた別の窮屈な「正義(不寛容)」である。

ネットが普及したことで不寛容な社会になった、という意見。
しかしそれもまた「結局は我々自身の手にかかっている」。
 
脊髄反射で投稿せずひと呼吸。
 
【自分の周りにいなさそうな人が、果たして社会にたくさんいて、大声で騒いでいるというのは本当だろうか。仮にいたとして、わざわざやり玉に挙げるようなことだろうか。】

>今、新型コロナの感染拡大と長引く外出自粛で、多くの人が閉塞感を抱いている。生活と経済状況に不安を抱える人が増え、ストレス発散できる手段も限られている。人はこういう時には、誰かのせいにしたり、誰かを批判したりしたくなるものだ。

これはこのところ特にネットを見ていて私が感じている不快感そのものである。

「嫌な感じになってきているなあ」と。

>自分の正義の基準にそぐわない人を叩く行為によって、脳内でドーパミンが分泌され、快楽が得られる
 
というのは間違いない。
そしてなぜかネガティブな感情に基づいた投稿ほど拡散されやすい。

自分の怒りと適切な距離を置こう。
すぐに送信ボタンを押すのはやめよう。
一晩立っても変わらないか確認しよう。
 

窮屈で不寛容な世の中にしないために。

https://news.livedoor.com/article/detail/18195125/

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

心に残る映画たち(その2)「家族の肖像」

Gruppo di Famiglia in un Interno
イタリア
1978年日本公開。


封切時に岩波ホールで観ました。大学1年の時。
なにしろ伏線が張り巡らされていて、
1回ではとらえきれなかったのを覚えています。
3回めぐらいに「すごい」と唸ったような。
ヘルムート・バーガーとバート・ランカスターが素敵です。
あと、あの悪魔的美少女。ぞくぞくしました。
そして舞台演劇的なつくりが好き。

カメラは 教授の屋敷から出ません。
一度だけ外部に出るが他はとにかく教授の全世界である屋敷の中です。
それも特に彼の書斎。


自分の屋敷の中に籠ってリアルな世俗の人間関係を断つことで心の平穏を保ち暮らしている老教授の世界に、有無を言わさず「外」がなだれ込んできて生の人間たちとの関係により教授の平穏はかき乱されます。
しかし 最後に全てが彼の世界から去ってしまって、
彼は「元通り」のひとりきりになるのだが そこには埋めることのない喪失感、人を愛したものだけが味わう傷跡が深く横たわっている。
人と関わらないことで得られる心の安らぎと
人を愛したことで残る欠乏、痛みと
いったいどちらが人生の幸福なのか。
若い私にそんな感想を残した作品です。

(MovieWakerより)
ローマの豪邸で静穏そのものの生活を送る孤独な教授が、ある家族の一群に侵入され、そのことによっておきる波紋をヨーロッパ文明と現代貴族のデカダンスを根底に描く。製作はジョヴァンニ・ベルトルッチ、監督は「ベニスに死す」のルキノ・ヴィスコンティ、助監督はアルビノ・コッコ。「若者のすべて」以来ヴィスコンティ映画の常連エンリコ・メディオーリの原案を彼とスーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリが脚色。撮影はパスカリーノ・デ・サンティス、音楽はフランコ・マンニーノ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術はマリオ・ガルブリア、衣裳はヴェラ・マルゾが各々担当。出演はバート・ランカスター、シルヴァーナ・マンガーノ、ヘルムート・バーガー、クラウディア・マルサーニ、ステファノ・パトリッツィ、エルヴィラ・コルテーゼ、ギイ・トレジャン、ジャン・ピエール・ゾラ、ロモロ・ヴァッリ、ウンベルト・ラホ、クラウディア・カルディナーレ、ドミニク・サンダなど。日本語版監修は清水俊二。テクニカラー、トッドAO。本国公開題名は、Gruppo di Famiglia in un Interno。2017年2月11日よりデジタル修復版を上映(配給:ザジフィルムズ)。



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心に残る映画たち(その3)「無伴奏シャコンヌ」

原題:Le Joueur de Violoncello Cello
1994年製作/フランス・ベルギー・ドイツ合作


芸術の本当の意味を追及するため、地下鉄の構内に身を置き演奏活動をするヴァイオリニストの姿を描く作品。
音楽評論家としても著名なアンドレ・オディールの『Musikant』の映画化。


1995年日本公開@東急シネマスクエア
DVDも持っています。
絶頂期のギドン・クレーメルが演奏しており、音楽の監修もしています。
あらすじなどはこちらで。

====MovieWakerより転載
フランスのリヨン。ヴァイオリニストのアルマン(リシャール・ベリ)は、10年前にソリストの代役としてデビューを飾り、以後、第一線で活躍してきたが、芸術家としての自分に疑問を感じ、また同じヴァイオリニストの親友が自殺したことをきっかけに舞台から退いた。彼はメトロの地下道を次なるコンサートホールに選び、自分の欲求のまま演奏し続ける。彼の脳裏に去来するオペラ歌手だった昔の恋人との思い出……。始めは誰の関心も惹かなかったが、やがて通行人の足を止めるようになる。音楽好きのメトロ職員ダロー(ジョン・ドブラニン)との出会い、アルマンの昔の姿を知る音楽家シャルル(フランソワ・ベルレアン)との再会、そして心を閉ざしがちだった切符売りのリディア(イネス・ディ・メディロス)も、アルマンの奏でる音色によって癒されていく。ある日、メトロで停電が起きる。動揺する通行人たちを優しくつつみこむアルマンの演奏。明かりがついた時、アルマンとリディアは自分たちの心が愛情で結ばれていることを知る。翌日アルマンは初めてチェロ奏者と共演、周囲の人々も演奏に参加し音楽の饗宴となったが、リディアはその輪の中に入っていくことができない。しばらくしてメトロで工事が始まる。アルマンは居場所を失い、立ち退きを要求してきた警官にヴァイオリンを叩き壊されてしまった。リディアが仕事を辞め自分のもとから去ったことも知り、悲嘆に暮れる。そんなアルマンの様子を遠くから眺めていたシャルルは、彼に自分のヴァイオリンを差し出す。アルマンに残された道はひとつ、ヴァイオリンを弾き続けることだけしかない。彼はメトロに生きるすべての人々のためバッハの『シャコンヌ』を奏で続ける。人生の喜び、普遍的な愛、そして自分が求めてきた芸術の真の姿をアルマンは遂に見い出すのだった。





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心に残る映画たち(その1)「天井桟敷の人々」

父は映画も好きだった。
自宅にいたころは 父が見る「◎◎洋画劇場」などを門前の小僧状態で一緒に見ていた。
それで自然と名画、というものになじんだと思う。

大学生以降の20代はちょくちょく映画を見に行ったものだ。

そういった中でその後の私の人生に深く根づいた映画は数限りない。
思い出す順にすこしご紹介してゆこうと思う。


まず 筆頭は 「天井桟敷の人々」  だ。
原題は:Les Enfants du paradis
1944年フランス

人間の自由とは、誇りとは、そして恋とは、人生とは。
何より「人間とは」。
19歳の時にある人に映画館に連れて行かれ観て以来、
何度 観たでしょうか。
このシーンは冒頭の方で、旅芸人一座の天才パントマイム役者「バチスト」とのちに運命の恋の相手となる高級娼婦「ギャランス」の出会いともなる場面です。 雑踏で財布をすられた男性が隣にいたギャランスに濡れ衣を着せピンチに陥るところを、一部始終を見ていたバチストがマイムでその状況を説明し、疑いを晴らす名場面です。
このほかにも 後半でギャランスとバチストが再会しやっと結ばれるときに、思いつめるバチストにギャランスがつぶやく名セリフ「恋なんて簡単よ」というシーンも強烈に心に残っています。
ただ、このセリフは映画版の字幕のもので、DVDなどでは訳が違っており(忘れました)、そちらだったらそこまで焼き付いてなかったかも。 映画の字幕の訳ってほんと大事。
原語のセリフ、そういえば調べてませんがなんだったんだろう。
知りたい。
長いので2部に分かれていて途中に休憩が入ります。
バチスト、ギャランスとギャランスの友人の悪党、シェイクスピア役者の4人を軸とし、いろいろな人生模様が描かれ、その中で 人間にとっての本当の尊厳とはなにか、誇りを貫く高潔さは誰に宿るか、といったいろんな命題を学生の私に植え付けた忘れられない作品です。
観たことがない方、知らなかった方は ぜひ一度はどうぞ。
映画史上の最高傑作のひとつではないでしょうか。










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子供は親を選べない。

人格の基礎は親子関係が基盤というお話。
(ちょっと重たいけど!)

さて当然ですが、子供は親を選べない。
そして子供は親がいなければ生き延びられない存在でもある。

自分の母親は何割か「毒」でした。

うちは女2人に7年離れて男の子の3人きょうだいでした。
私は2番め。「また女」とがっかりされた立場。
ただ、姉と違って私は幼稚園時代から何かと目立つ子で
お遊戯会でも主役、オルガン教室でも一番、
小学校にあがったらお勉強も一番。
チェロを初めたらトントン拍子。
ランドセルは「黒」。

おそらく「長男」の代替で育てられました。
母親の干渉(NOT愛情)だけは凄まじく、潰される瀬戸際。
高校受験前に「音高は行かない。普通高校に行く」と血みどろの衝突で自我を押し通した後も報復措置が何年も続きました。
二言目には「子供なんかいらなかった。」「子供がいなければ離婚した」。

私の思春期の潜在意識は、
親に愛されたい、親に必要とされたい、
「お前がいてよかった」と思われたい、そういう本能的な飢餓感に覆われていたのだと思います。
でも、当時は深層に隠されて自覚しなかった。
   
その飢餓感は一生 私の心の底辺に残ってた気がします。

ですから自分の青春時代は心底きつかったですね。
   

その苦しさと対峙し乗り越えるために精神分析や心理学やカウンセリングの書籍をむさぼるように読みました。
カレン・ホルネイの「自己分析」という本は最初に私を救った本でした。
次にR.D.レインのいくつかの書籍。
特に「自己と他者」は自分との向き合い方、人との向き合い方を根本から変えたかもしれません。
分析からスタートし最終的に河合隼雄のカウンセリング系の本に行き着いてようやく色々と整理がつけられた感があります。
   
  
振り返れば。
  

分析の過程で 母親の精神分析も私なりにしてきて、
母親がなぜそのような事になったかを理解しようとしたことは大切なことだったと思います。
母親の生い立ち、幼い頃からどんな思いと経験を重ねてきた人であるか、父との出会い、いろんな「歴史」をひもとき仮想のカウンセリングをしてゆく。
同時にネガティブな感情を吹き飛ばし後とに自分の中に残る彼女への評価すべきいろんな記憶を丁寧に思い起こして「良いカード」として目の前に並べて行く。

人への評価は常に公平でなくてはなりません。  
    
 
憎悪(当時 憎悪したのは事実です)の対象を精神分析して、
相手と相手を憎悪する自分の理解をすることでのみ、
憎悪を乗り越え最終的に解脱することができるのだと思いました。
許さなくてもよいが理解する。

憎むという事は「対象を求めて得られない何か」を抱えていることです。
愛憎表裏一体とはよく言ったものです。
===
何を求めていたかを受け入れること。
何に飢えていたかを理解すること。
==
知性によって正しく自分や対象と向き合い、
客観的なもう一人の自分を確立することでのみ自分の苦しみから自分を解放できるだと思います。
 
  
母が死んで4年半たちました。
昔良く見た「蜘蛛の巣」の悪夢も見なくなりました。
そして私は母をこれほどに愛していたのかと
今は静かに懐かしく振り返っています。

母にもう一度桜を見せてあげたかった。

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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

宮部みゆきの「模倣犯」

たまたまテレビ東京で宮部みゆきの「模倣犯」(映画)を放映していたので見るとはなしに見ていた。
作業しながらの「ながら見」だ。
ところがどんどん引き込まれてしまい結局作業の手を止めて最後まで見ることに。
良い映画だった。
 
橋爪功さんはやっぱりいい俳優だなあ。
でも一介の豆腐屋にしちゃかっこよすぎるかな。
「ハードボイルドな豆腐屋」


岸部一徳の刑事が犯人逮捕するときのセリフ!

「お前には… うんざりだ。」 

に 妙にシンクロしました。
そして

「あなたはオリジナルじゃないのよ
 模倣犯なのよ!」


と言われた瞬間に自意識の砦が崩壊する犯人。
ははぁ。なるほど。


つくづく、人間て動物の持つ、この「自意識」って怪物は諸悪の根元。

アイデンティテイとは「私はこういうヒトである」と自分で自分を名付けることに過ぎず、
そのような「物語」を必要とする段階ですべての人間とはすでに病んでる。

猫はそんなもの必要としない。
常にあるがままだ。
人間、そもそもが壊れてると思う。

「自意識」 これはいったいいつ目覚めるのか。
生まれたての赤ん坊には猫並に無垢な気がする。
鏡を見たり「あたしってかわいい?」と気にしだす段階は既に病気が始まっているわけだ。

そう。

鏡という代物。

こんなものが存在しなければ人は内側から見た自分と外側から見た自分のバランスを気にすることも無かったろうかと思う。



そんな事を考えさせる作品だった。



テーマ : ドラマ・映画
ジャンル : テレビ・ラジオ

無神経で無知なるものたち

http://lite-ra.com/2014/11/post-665.html
【東山紀之が“反ヘイト本”を出版していた!自らのルーツと在日韓国人への思いを告白】

>安倍よ。一度、東山の本を読んでみるといい。
>頭の悪いオマエでも、どちらがまともで誇りある日本人なのかがよくわかるはずだ。

安倍とか言わなくても、そこらじゅうにいる想像力に欠けた人間に云いたい。
敢えてとても私的な話を此処に書く。


「うちの女たち」の波乱万丈ぶりには例外はなく、実姉にもそりゃもう波乱の過去があった。
そのひとつが、ヒガシも子供の頃に住んだという、「川崎、桜本」に暮らした時代の話だろう。
前後の経緯は伏せるが、彼女は当時、人目を忍んで、いわゆる在日の青年と暮らしていた。
日本で生まれ育っているが国交断絶の北朝鮮籍だから、帰化も不可能。
「結婚」しようにも国交のない国籍の相手との法律の壁は分厚い。
陽のあたる職業にもつけない。
在日同士のネットワークで助け合って暮らしている。
焼肉屋、ソープランド、パチンコ屋…etc
嫌でもそういった裏世界にしか彼らの居場所はないのだ。


私が彼らのところに遊びに行った時は、一族皆でそれはもう大変に暖かいもてなしを受けたものだ。
(桜本の焼き肉とキムチの美味しさは忘れないよ!)

その当時、ちょうど私は最初の結婚秒読みだった。
相手は同じ会社同期の、ごく普通のピアノの好きなボンボン。
母親の兄(叔父)は今でいうメガバンクの副頭取。

相手のご両親に挨拶に行った時、姉のことを調べ上げてあり、

親戚に朝鮮人の血が入るのはちょっと…
 従兄妹に今来ている縁談にさしさわる


と向こうの母親が難色を示したものだった。
私の両親はリベラルな人たちなので、
「そんな家の人と結婚せんで良い」とひとこと。
彼は彼で、自分の親がそんなことを言う人間とは夢にも思っていなかったらしく衝撃を受けていたっけ。


どこにでもいる平凡な市民がサラリと提示するこういう差別感。

それが日常で無自覚になされるもの。



たまたま姉はその後紆余曲折があり、その青年とは別れてしまったけど、
私には貴重な経験だったのだ。


「私はいいのよ、でも 親戚の縁談に影響が出るのでね」


こういったセリフ。


だけどこんな理不尽難な理由なら「犠牲」を気にせず押し通すのが私にとっての正義。
世の中の皆がそういう選択をしていったら少しはこの世界も暮らしやすくなるのではないのか。


みな自分のことでないものには徹底的に無知で不勉強だ。
無知は「害悪」であり、大きな罪であるということを 声を大にして言いたいのだ。








テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

金継

HDDを整理していた。
2002年だの2003年だのの画像フォルダを久しぶりに眺めた。
前のマンションでの4匹の猫達。
「幸せだったのにね…」とおもわずひとりごつ。

幸せだった、とは 猫たち。
この子たちとの時間が幸せで平和だった。

4匹のうち2匹は3年前に旅立ってしまった。
他の2匹も まだ子猫だったり、ぴちぴちの若猫だ。
今は2匹とも年を取ってしまった。
 
そして人間も。


父も母もこの時は元気だったけど もう居ない。



夫とは 続かないかと思った割には続いていて 
この頃二人の間にあった「嵐」はいつか過ぎ去り
それなりに馴染んで平和な日々となり
何よりも二人共 年を取った。


この頃 まだ音楽は再開してなかった。
ただ ひとりでピアノを(ピアノの音が嫌いな夫の居ない時に)弾くほかは、もっぱら音楽は聴くばかりだったっけ。


音楽(チェロ)を再開したことで変わった運命

出会ってしまったために起こった、あの悲惨な事件。
あれより酷いことはないと思うほどの凄惨な修羅の末に滅ぼされた私の心はかろうじて永らえたものの、今 これは生きていると言えるのか言えないのか
わからないけれど とりあえずは日々を暮らしている。

去年(2013年)の突発的な転落事故が原因で少しばかり健康に制約を受けた。
あの頃 想像もしてなかった未来。




「音楽は魔物」 
と その人は言った。
私と酒を酌み交わしながら。


そうだね。魔物だね。
私達はその悪魔に魂を売ってしまったのだ。
その割には見返りに大した音楽の演奏能力は与えられなかったけどね。


声と引き換えに望むものに全てを賭けた人魚姫と
私達は変わらないのかもしれない。

勝負に負けて最後は海の泡になるとこまで同じ?


私にそう語った、かつて私の人生で最も愛と尊敬を捧げた相手だったその人は、
ある日すさまじいばかりの「鬼」に変貌してしまった。
魂を鬼に喰らわせた者は、己も鬼に変わってしまう。
悲しい、悲しい、鬼。
愛しい人の変わり果てた姿を見たオルフェウスのように 
私もそこで 黄泉の坂をUターンしてすぐさま戻らなければなかったのだ。
それなのにグズグズど思いきれず
亡者といつまでも添い遂げようとしてしまった。
とっくに死んでいる者と。


去年の転落事故も
その悲惨な出来事と無縁ではないと密かに心の奥で確信している。
あの体験で 心が吹っ飛んだ私は、一時かなり危険な状態になった。毎日が死と隣合わせだった。
3年かけてどうにか踏みとどまったものの、不眠症が残り、そのために処方されていた睡眠薬が原因の事故だから。

人生って本当に因果、因縁で綴られてゆくのだと感じる。





しみじみと 旧い日々の哀しさ懐かしさと、
今なお生きてゆくことの心の痛みとを噛み締めたのだった。



それでも人は生きてゆく。
人の心は、しぶとくいつか蘇り再生する。


一度 割れてしまった陶器を金と漆で再生させる「金継」という技術がある。
その器は無欠だった以前の器とは別の器となる。
金継した傷痕が新しい美しさになり味わいとなる。

しかし 割れる前の強度には二度と戻らないから、いたわりつつ大切に永らえなければならない。

人の心も同じなのです。






テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

病床に母を見舞う

80歳の不治の病の母を見舞う。
小さく別人のようになった母。

ずっと母とは宿敵みたいだったけども
死にゆく者は皆、仏になる。

母は田舎の人で、そういう死生観を持っていた。

死ぬほど苦しめられて憎みあった姑の事すら
死の前には恨みを棄てて世話をしていた。
父が、ハイエナみたいな親族に腹を立てて、
「こんなものがあるから、いけない」と怒って
祖母の位牌をゴミ箱に投げ込んだ事があったが
母は、「仏様にそんな事をしてはいけない」と拾い上げた。


訪問販売のセールスマンにすら礼儀正しくお断りをしていた母。
「ともちゃん、自分のお父さんがそういう仕事で、相手にけんもほろろに追い返されるところを想像しなさい」と言って。

「どんなに前の日に喧嘩してても、朝、家を出る時には 気持ちよく送り出してあげなさい。それきり事故で死んでしまったら、喧嘩別れが今生の最後になってしまうのは良くない」と教育された。
(娘には随分ひどい言葉を投げつけては傷つけてきたくせに)


そういうところのある人間だった事を思い出す。


自分の根幹にも、どこか引き継がれている気がした。


次の正月がない気がする、母。





【追記】

2014.7.21 没。
合掌。










星よりも遠く

時間が経つのは早い。

ついこのあいだ、正月明けのモーツァルト五重奏の集まりがあったような気がするけれど、
10月も半ばを過ぎて、もうネットのバナーには「おせち」や「クリスマス」の文字が躍る。

土曜日はピアノ四重奏の会を主宰し、疲れ果てた。

  

人生は一瞬の夢だというが
こうやって過ごしていれば、時間のたつのもさぞかし早かろう。
暇を持て余せば苦痛が長引くだけだが、
次々予定をたてて忙しくしていれば、瞬く間に消費してゆけるのだろう
 

仕事で時間を忘れる人
趣味で忘れる人
くだらない、あるいは「価値のある」恋愛で忘れる人
そのほかのよくわからない何かへの憎悪で忘れる人
酒やギャンブルで忘れる人
いろいろと流儀があるけれど
要するに皆、人生という、このわけのわからない負担な代物に早く過ぎ去ってほしいのではないか。 
 

猫は自分が今何歳かなどと考えないだろう。
過去を振り返ることもしないだろうし、
先を案ずることもないのだろう。
 

だから猫には「時間を忘れるための方策」は別段必要ないだろう。


だが人間には時として、いろんな余計なものが必要なのはどうしたことだろうか。

”I was born ”という吉野弘の詩を思い出した。


生まれる、ではなくて受動態の「生まれさせられた」 ということ

ここに居てしまった、
そのことに気づいてしまって
とまどうだけで右往左往するのが人生なのかもしれない。
「かなしい」と「さびしい」は紙一重の感情だと感じる。
そうして、寂しさが行き過ぎれば
そこはかとない「憎しみ」が心を傷めつけるだろう。
憎しみはかなしみと等価だ。



星空を思い出しながら
時折
人の心は 星よりも遠いと感じる。



音楽も文化も必要としない猫のようになれたらよいのに、と思う。


==============Oct. 2013
    ★随想目次
星空

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

WE(僕たち)ではなくて I(私は)

一人称をきちんと責任をもって使う人がいい。


私は人が無意識に使う単語、表現、言い回しを観察する癖がある。


「僕は」といえばいいところを「僕らは」といわれると、引っかかる。

「みんなそうでしょ」
「普通は」
といった言い回し同様、気になる


「僕ら」って誰と誰と誰よ、名簿出してみろよ、と内心思う。
全員の同意もらって「僕ら」って表現を使っているのか。

「みんなそう言ってる」、、、だから、誰と誰と誰がそういってるのか言ってみろよ。
そう思う。


こういった言い回しは発言の責任の所在を曖昧にする「逃げ」だと思っている。
あるいは、「僕ら」と「あなたがた」との間に線を引こうとする排他精神である。


実際には「全員」の了承を取ってないんだから、
「僕は」「わたしは」という一人称できちんと語るべきだと思うのです。


そうすることで見えてくるものがあると思わない?

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

マッチ売りの少女

「居場所がない」

心の奥でちくちくと痛み続けるこれは、
どこにも居場所がないと感じる気持ちだ。
 
もう15年以上暮らしている相手は、私を嫌いだと明言する。

うわべでは笑い合い、手をつないで歩いたりするくせに
根源では私を拒否し、
彼の軽蔑して憎んできた母親と同じ性の身近な女を、
母親のかわりに軽蔑し拒絶し否定し、憎んでいるのだろう。
 
旅行に行き、夜散歩に出て
満天の星空を一緒に見上げて
一緒に「あれが北斗星」「あれは何座?」と平和に会話をしているのに
その実、定期的に私の心を徹底的に潰して壊すシーンが繰り返される日常。 

だから私は楽しむまい、
心の鍵を開けるまい、と誓う。
楽しい時間は自分にとってはお芝居に過ぎないと思っている。
そうしなければ壊されるから。

そして気づく。

ああ、これって「居場所がない」ということなのだと。

誰も彼もが自分の家を持ち、自分の居場所にいるように見えるのに
私は自分の家にいながら自分の居場所がみつけられない。
では居場所がある、とはどういうことなのだろうか、と考える。
それはおそらく、誰かに心の底から肯定され、受け入れられ、歓迎される場所があることだ。
 

そういえば、私が今 わずかに居場所を見つけているのは
すべて「領収証」の存在する時間だ。
尊敬する音楽家の先生との時間には領収証が飛び交う。
レッスンというのは、誤解を恐れずに言えば、
ある種の経済的利害関係を伴う人間関係なのだから、
私が貧乏になり音楽費用どころでなければ、消えてゆく宿命だろう。

レッスン代が払える間だけ出現する幻の居場所。
そういうことだ。
 

では、それらを「お金で自分の居場所(時間)を買う」という行為に還元して考えてみてはどうだろうか?
一時の幻、一時の癒しを求めて、ホストクラブやキャバクラに通う人たちと、どこに違いがあるのだろうか。
 
 
その軸で考えたならば、私を含め、彼らは全て「マッチ売りの少女」たちなのだ。

マッチをすり続けて夢を観る。
マッチがなくなったら凍えて死ぬだけ。


そう考えたらとてつもなく切なくなった。 
 
ずっと私を追い立てている焦燥感の源は、この儚い自分の足場への不安なのだろうか?

居場所がないまま、さりとて死ねないから回り続ける独楽のように
喘ぎながら生きている、という現実。

私のマッチが尽きる日を恐れながら。
 

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

芽吹きの春

古い命が終わる冬
新しい命が芽吹く春。
 
新旧交代するのにふさわしい季節だよね。
 

たぶんこの春、
私は、ずっと引きずってた荷物から自由になるだろう。
徐々に徐々に涙とともに心の奥に準備してきたものが
一斉に芽吹いて
古いものを押し隠してゆくだろう。
 

圧倒的な新しい命たちの輝きが
過去を遠い景色に変えてゆくだろう
  

私は出会った頃よりずっと年を取り
死がいつも隣にあるような気持ちになることがある。
 
早く死んでしまいたいのかもしれなくて
だから燃焼し続けて、全力疾走し続けてるのかしら。
 
20代の後半に初めて、自分が死にゆく者という実感を抱いた。
ちょっと早すぎるかもしれなかったけれど 
私は精神的には早熟な少女、と皆に言われていたから
妥当なことだったのかもしれない。
 
きっかけは親が年をとったなと感じたことじゃないかな。
 
できたことができなくなる。
子供の頃に抱いてた圧倒的なパワーがなくなってゆく。
 
滅びてゆく。
衰えてゆく。
そういう気配を既に感じ取った。
 

永遠などはどこにもない。
心の中のファンタジーとしてあるだけ。
 

ろうそくの長さが減っていく一方であるように
人生は終わりに向かってだけ粛々と進んでゆく。 

28歳ぐらいでそう感じていた。
 

だからいつも焦燥感があったのかもしれない。
 
やり残したくない。
開けずに後でずっと引きずるような扉を残したくない、と。
 

良識ある人が、ちゃんと開けずに我慢する扉を開ければ
否応なしに「ドラマ」は始まってしまう。
 
昔 私の大好きなある人(今は立派な文芸評論家になった) が私に言った。
「”これを言ったらおしまい”という一言を主人公に言わせてしまうのが、小説の手法のひとつでもあるよな」
そう。 
開けない扉を開けてしまうことで、物語が始まってしまう。
 
そんなことの繰り返しが私の人生だったけど
後悔はもちろんしてませんとも。
片っ端からめぼしい扉を開けてみたから、もう十分お腹いっぱいです。
 
  
他人に「開けてごらん」とは別に言わないけど。
そうとうに大変だから。
でも、なんでも経験してみて乗り越えたら、血肉になるから悪いことはないと思う。
 

やってダメだったものには全く未練が残らないということは言えるでしょ?
だからいいんです。 
不意打ちみたいな未踏のパターンに出会っちゃったら、
あえなく敗北するけれどね…
何しろ、人生は一度きり。
 
 
今日が一番若くて
明日は今日より死に近づいてる、ってこと。
 


20歳ぐらいをピークにあとは生物的にはゆるゆる下降線、
40代後半ぐらいからは急降下でしょ? 

やりたいこと 知りたいことは全部やってみていいと思うの。
 

 
誰もあなたの人生をかわりに生きてくれないんだから。
 



・・・・血反吐を吐くほどの辛い想いも
いつか「過去の森」の中に守られた美しい物語になる。
  
永遠などどこにもない。
心の中の永遠は私(か相手)の生命とともに消えるから。 
  

暗い広い宇宙の中のたくさんの星のひとつのように
とても孤独に 微かに輝いている。
  

星と星がまたたいて 挨拶する。
 
手の届かない億光年の彼方の星の光。 
だけど私のところからそれは見える。
あの人のところからも私が見える。
 
この心の奥の大切な秘密を道連れに
生が終わる時までただひたすらに歩いてゆこうと思う。 
  

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

喪失

自分が無理をしていたんだな、ということは
無理をするのをやめてしまった時にしかわからないのかもしれない
 
植物状態のからだから生命維持装置を外してしまったあと。
崖から落ちないようにきりきりしながら掴んでいた腕をとうとう放してしまった後。
 
僅かな望みに全てを注ぎ込んでいるうちは、囚われ、
結局のところ「希望」と言う名の牢獄にがんじがらめになっているのに、
最中では決してそのことに気づかないのは何故なんだろう?
 
ううん。「気づいて」はいるんだろう。
いつだって、終わったあとには全てがわかるのだから。
それは突然わかるわけではなくて、最初からそこに「在った」はず。

同じ部屋の暗闇で、ずっと存在していたそいつ(真実)は、
視界の片隅には入っていたはずなのだ。
 

何度やっても懲りないのは何故なのだろう。
こんどこそ、と誓ったはずなのに、何度も何度も。

口当たりの良い夢語り
たやすく流れる一見美しい涙たち
どうしてそんなものを何度も何度も信じるのだろう。
 

夜空を見上げても、もう、あの星たちのどこにも
「人知れず咲いている薔薇」は存在しない。
私が、その物語の嘘と向き合うことになった時に、
この手で幻想の薔薇の花を手折ったのだ。

心の森の中には、からんからんと乾いた音がこだまする。
 

悲しむものか、と思う。
もう無駄な涙など流すものか、と思う。
惜しんだりするものか、と思う。
 


何年も心の部屋の片隅に、意地になって手放さずに置いていた、
あの緑の小箱を、今日ゴミ箱に投げ入れた。 


もう、何の意味のない箱。
浦島太郎の煙すら入っていない箱。
 
私を縛っていたいろんな約束事を
片っ端からゴミ箱に捨てていったあと

かなしいのに 心は妙に軽やかになった。


こんなに、かなしいのに。
 
安っぽい感傷の罠に再び陥るものか、と誓う。
  
後ろを振り返るヒマもなく、新しいもので埋め尽くしていかなくては、と思う。
 

陳腐化し、意味を失い、かなしいほどに卑小に劣化したそれを、私はどう扱えばいいのか。

次々と捨てながら、どうしても最後のひとつに触れることができないでいるけれど、
とりあえずは、いま触れたくないものにまで無理に触れるのはやめようと思う。
 

さあ、少し、おやすみなさい。
ずいぶん自分に嘘をついて、頑張り続けたね。
もうそんなことはすべてやめて、
無理しないていようね。
自分よ。


night.jpg

 






  

 



テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

人生は1本の蝋燭だ。

去年の今は猫4匹にかこまれてた。
そのうちの2匹は冬になって死んで消えてなくなった。
去年の今頃、私は人生最大級の喪失感の中で溺れかかっていた。
 
一昨年の今は濃い色の夢の只中で無我夢中だった
今は灰になった夢の時間
だけど今尚それは熾火のように消えきらず、苦しんだり悲しんだり。 
いつ消えるのか、それともずっと続くのか、神様しかわからない。
  
今年の夏はもう半ば過ぎた。
木陰の風が盛夏を過ぎつつ在るのを知らせ、
蝉も虫も必死で鳴き続ける。
 

そういえば、私の居場所と確かに思える場所があったことはない。
その日、その時の居場所をみつけ、日々を過ごしてゆくみたい。
でも、そんなものかもしれない。 
それに…、それで充分生きて行けているじゃない・・?
   
とりあえずまだ身体は病気になってない。
それで充分面倒は回避できるだろう。
  
独楽のように回り続け、倒れた時が死ぬときかなと思うことがある。
どうぞ早く終わらせて下さい、休ませて下さい、と神様に祈る。

いつ死んでも別にいいなぁ、と最近は毎日のように考える。
わりと、いつも全開で生きてたと思う。
山も谷も、うーんと深い。
 
開けてみたいと思った扉は片っ端から開けてみた。 
最近は開けなくても中身がわかるようになってきた。
いやでも、懲りずにまた、「開かずの扉」を開けちゃう日が来るかもしれないな。
 
前世だの来世だの、私は考えない。
そんなごたくを並べる前に、現世をどうにかしろよと思ってしまう。
 
現世で全力出さない人は来世でも同じ間違いを繰り返すに違いないと思う。
 

来世で、なんてのは言い訳だ。
来世なんてないよ。
 
「死ねば死にきり」 (高村光太郎の詩)


人生は1本のロウソクだ。
 
燃え尽きて終わってそれきりだ。

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

猫。

                                  

猫はいつも私の傍らにいる。チェロを弾くとき、ピアノを弾くとき、
夜、眠るとき。いつの間にかすぐ横で寄り添う。
抱きしめてと眼で訴え、濃厚に情を交わし合う。 
 
私の母親は私を抱きしめなかった。いや、うんと幼い頃には抱いてくれたのかもしれないが、少なくとも私の記憶に残っていないのは確かだ。
「甘えてはいけない」というのが常に彼女のメッセージだった。

人間には父性と母性が同時に共存するものだが、彼女は恣意的に父性の側だけで私に接しようとしていたように思う。
本当の父性ならまだしも、父性もどきという質の悪いものだった。
 
暖かな体温で包み込み、抱きしめ、甘えさせ、理屈抜きで全存在を肯定するような繋がりを通じて、人は安定した精神基盤を得ると思うが、私の母親はそういったものを与えることを拒否した。
少なくとも娘にはそういう効果を与えた。
 
ひとつには彼女は人の何倍も神経質で潔癖症な娘(かつての)だったことがあるだろう。 彼女は20過ぎまでにかなり過酷な人生を送った。
気性は激しく、自意識も強く、またコンプレックスも大変強かった。
優等生で美人の妹に比べ色黒で痩せっぽち(娘時代の話だ)の封建的な農家の長女。芸術的才能がそれなりにあったようだが、環境がその開花を阻んだ。彼女は全身で闘った結果、単身誰にも助けてもらわず家出娘として上京し、国立の看護学校の寮に勝手に入った。
住居費も学校の費用も要らなかったからだそうだ。
 
やりたかった勉強をし、やりたかった文学活動もした。
その中でインテリ詩人のはしくれの父親と知り合い、駆け落ち同然で結婚した。

・・・・・とまあ、替わりに自伝を代筆出来るほどに聞かされた物語だ。

彼女のエネルギーの根源は、そういった恨みつらみとコンプレックスだったのだろうか。

東京に出てきた彼女が愛読していたのは智恵子抄の「東京には空がない」というあれだ。まさに、あのままの気持ちだったのだろう。
あまりに神経が繊細だったのか、結婚した頃は、ノイローゼになり電気ショック療法を受けたと言っていた。
いわゆる芸術家肌の面倒くさい気性の女だったのだろう。
 
そうして私の思うに大変な潔癖症だったに違いない。

私が15年ぐらい前、今の夫と出会う以前に声楽は一切生理的に受け付けなかった原因はこの母からの刷り込みにあったと思う。

彼女はいつも「声楽は身体が楽器で、気持ちが悪い」と繰り返していた。同じような理由で管楽器には寒気がするといつも言っていた。
唾液が垂れる管楽器。
そのイメージは潔癖症な彼女には心底耐えられないものだったようだ。
身体的なもの、肉体的な接触や分泌物、全てにおいて彼女は嫌悪感を顕にした。 当然その母親に育てられた娘もそれが刷り込まれた。

「女」という性を彼女はおそらく否定し毛嫌いしていた。
私は小さい子供の頃、「少女漫画は女のいやらしさを育てる」という理由で、漫画を読みたいなら少年漫画にしろと言われた。

小学5年ごろ、家族旅行の列車の中で交流した他所の少年に自宅の住所を教えたら、母に「汚らわしい」と言わんばかりの形相で怒られた。
男に媚を売る、と蔑まれた。 
男に服や宝石をねだるのは娼婦のすることだと固く戒められた。
 

私はだから少女時代、UNISEXなキャラクターとして男子からも女子からも見られていたようだ。
自分の中の「女」を知らず知らず蔑み嫌っていたと思う。
 
いつもひとりだった。
だが、潔癖症な割りには、年長の男性がいつもアプローチしてくるので、男性との交際は中学頃から途切れなかった。
もちろんプラトニックなんだけども。 
家には自分の居場所がないと感じていた少女にとって「恋人」は血縁よりもずっと重要な存在だった。
それは現在まで変わらない。 私にとって血のつながりなど糞にもならぬ、全く重要性の薄いものでしかない。
私は友人も必要でなかった。 恋人ただひとりこの世にいたらそれでよかった。
私にとって恋人は、唯一私が心を開ける存在としての役割が要求されたのだ。
 
 
当時の詩を読むと、情念は人の何倍も濃いのがわかる。
それを全て内側に押し込めていたというわけだ。

それでも年齢と経験を重ねるに連れ、恋人たちの尽力によって、少しずつ自分の中の「女」を解放し、肯定できるようにはなっていった。

しかし母性的な交流への飢えが自分に色濃くあることは、50歳近くなるまで自覚していなかった。
父性論理ばかりに囲まれ、誰も私を母性的に愛してくれなかったし、男たちは私に母性を求めても、私に母性的愛を与えてくれたわけではなかったから。(皆無というわけではないにせよ。)


そして、猫。
猫はいい。コトバがないからなのか、コトバが元々要らないほど自然なのか。 愛することの素直な姿を見る気がする。
目と目を交わし合い 気配をやりとりするだけで情がしっかり通じ合い、抱きあえば互いが強く愛し合っているのを実感できる

母が私に与えなかったもの、誰も私に与えないもの、
これからも私が人に対しては飢え続けるであろうものを、現在のところ猫だけが私に与えてくれる。

私が素直に愛することを受け入れてくれ、素直に愛情を返してくる愛しいもの。
 
でもこの愛しいものは、じきに私を置いて旅立ってしまう宿命のものでもあるのだが…
 


愛する父は2005年にこの世を去った。
私を愛さなかった母はまだ生きているが、癌だというから長くはないだろう。
母がこの世を去ったら初めて私は彼女を普通に愛することができるだろうか?











==============2012
    ★随想目次

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

火の鳥

高校生の頃、手塚治虫の「火の鳥」を初めて読みました。
原始時代に火口の奥で暮らす一家のシーンがありました。
若者が火口を内側からよじ登って外に出ようとする。
途中であまりに苦しくて自問自答する。手を離そうとする。
そこに火の鳥があらわれ、彼の問に
「あなたは今生きているのだから生き続けなければならない」 と囁く。衝撃的でした。

「意味」 などは元々存在しない。 
あらゆることに「意味」を求めるのは、人間という不完全な生物の病だろうか?
意味を求めなければ苦しみはないのだろうか?

猫も鳥も「意味」にしばられず、ただ”今”を生きているように見える。
人はそのようになれない生き物らしい。 これは自分自身を振り返り常日頃思うことだ。
「般若心経」は、だからこそ、ものごとへの意味づけ(「色」)を捨て去った「空」を夢想してみせるのだろう。

 
少女の頃に出会った、生と死の象徴である手塚治虫の火の鳥の言葉は、
その後ずっと自分の心の底で密かに響き続けている。
 

吉野弘の詩ではないが、生まれるということが英語では受動態なのは象徴的だ。
I was born.  
人は生まれさせられる。 自分で選んで此処にいるわけではない。
そして、有無をいわさずそこに在ることになってしまったからには
命をもぎ取られる時まで生き続けるしかないのだなぁと。

 
ならば生きることは 「諦め」か?
そう感じる瞬間がある。
不思議なことに、自分は、生きることの「意味」を問うたことはない気がする。
なぜ生きなければならない?と考えることはなかった。
もういいです、もう余命を返上しますから、あの人とアノ人と猫に分配してください、と神様にお願いすることはあっても。
  
神様がまだ私の余命を所望しないから、
なかば諦めのような気持ちで「あの角までとりあえず」と思いながら、
のろのろと足を進めている
 
きっぱりと「あなたは生き続けなければならない」と私に言い渡し、背中を押してくれる火の鳥がいてくれたらいいのに。
 

 


      自作詩と随想  目次


「つながる」

例えば女としての私にダイレクトな興味を持たれるよりも、
今の自分は 
私の 音 や 私の コトバ を通してつながれる人だけを 求めてるのだろう。
 
男とか 女とか 大人とか 子供とか 恋とか通り越して 
そういうとこから繋がってくれる人だけが ほしい

そういうのでしか 私の淋しさは埋まらない  


刹那が永遠
刹那がすべての真実
 

八木重吉の書いたように、「これを読んで (これを聴いて) 私をあなたの友にして下さい」
そういうこと。
 

自分の猫と心が通わせられるように誰かと情を通わせ合えるのなら それは素敵だ。
そんな繋がりら欲しいけど
哀しいかな、
人間にはコトバとか自意識などという邪魔なものがワンサカあるから
大抵の人はそれにスポイルされて、純粋に誰かとすんなり通じ合うことは難しい。
たぶん私も。
 


ぽくぽくひとりでついていた
わたしのまりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかえしてくれるように
そんなふうになんでもいったらなあ

(八木重吉)

 

それができないかわりに、その代償行為として
詩や 演奏した音楽 という自分の「作品」を通して抽象的につながりあうことを私は求めるのかな?
生身は痛い。生身は怖い。それでは傷つくことはあっても、多分満たされることはない。


猫と成立しているようなレベルでひとと何かを共有ができるのなら それが私の一番欲しいもの。
でもそれは奇跡みたいなもので手に入らない。
それが出来るのは本当の魂の片割れのような相手だけだ。
そんな人に私はこれまでの生涯で2人だけ出会ったけど 2人とも一緒にはなれない出会いだった。
腕をもぎ取られるみたいに別々に生きることになった。
恋だの情欲だの、そういう話じゃなかった。もっと根源的なものだった。
失ったあとに私の心はそこにフックされたまま 以後、他の誰にも同じようには動かされない。

  
だけど、音楽でもコトバでもいい、自分の「作品」というゲートを通じてなら、
違う意味で誰かに届くことが出来るかもしれない
生身でガチで向き合って心と心をわかちあうことはしないけれど
知らない誰かと
心の中に同じ「種」を共有しながら  交差することのない人生を歩む。
 
それはまるで
夜空を見上げて あの無数の星のひとつに自分の友達が棲んでいると信じることが出来た瞬間のように
私の心を励ましてくれるかもしれない。
そうだ。
「星の王子さま」の中で、王子様がバラの花に思いを馳せて語ったセリフのように。
  

私はもう そういうものしか求めていない。
 

私の心を動かすような音楽
私の心を動かすようなコトバ
私の心を動かすような○△□…
 
そして 私の何かが同じように 誰かの心の奥底に届くこと。
 

この文章はただの心のスケッチ。
 
 

なんていうかな・・・   
泣きたいけど泣けない
だから泣くかわりに 弾いている気がするのだ。
 
  

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ジャンル : 小説・文学

冬の海

きのうは ずっと雨で寒いなと思ってたら 夜になって 雪
寝る前に外を見たら 積もってる
 

暦ってすごいよなと毎年感心する。

寒の入り、大寒…  という今の時期は
律儀にちゃんと冷え込んで、雪が降ったりするのだもの。

冬のハイライトみたいな寒さの、すぐあとに「立春」


このコントラストが、ね。


いちばん寒い気がしても、冬至からは既に1ケ月過ぎていて、
日が長くなってゆく、季節の上り坂の途中なんだよね

 
冬の太平洋側気候が好き。

へそ曲がりだった若いころの私は、
一番好きな季節が冬だったし
海は夏には行かず、冬に見に行っていたっけ。


いまぐらいから2月にかけての南伊豆の海が大好きだ。
27歳のとき、取り立ての免許が嬉しくて、
旦那(当時の)の出張留守の週末の朝、
起き抜けの青空に、すべてを放り投げて、ひとりで車を走らせた。

20歳のころ、恋人(当時の)と眺めた2月の石廊崎の海が忘れられなくて
石廊崎まで行こうと思ったのだ。
 
東伊豆から海沿いに延々無計画に走り続けて
石廊崎で夕陽を見たけれど
ガス欠寸前。
たった一軒のGSでガスを入れたけど
体力を使い果たして帰れる自信がなくて
車に積んでたペンションガイドで南伊豆のペンションを探し
公衆電話(当時は携帯なんてないからね)から宿泊予約をし
飛び込みで泊まったんだ。


海の見える小さなそのペンション「ビートルズ」には
若い女の子2人連れが泊まっていて
夕食が相席になった。
 
話が盛り上がって
翌日 修善寺まで彼女たちを送りがてら、
西伊豆の景勝スポットを案内したっけ。
修善寺の町で「お礼に」といって蕎麦をごちそうになって、駅で見送った。
 

晴れ晴れした気分で家に戻ったら
出張から旦那が帰ってきていて
からっぽの家に憤怒してたっけね。
 


20歳のとき 恋人と行ったと書いたけど
それは風の強い冬の晴れた日だったのだ。
  
「こんな日はね ”うさぎのしっぽ”が見えるんだよ」

と彼は言った。

うさぎのしっぽ、っていうのは
強い風が海面にたてる、ちいさな波頭が一面広がる光景 


あれ以来  今の時期に
厳しく寒く 強い風の吹き荒れる ピーンと張り詰めた晴れた空をみるたび
南伊豆の海にひろがる「うさぎのしっぽ」 が 脳裏に浮かぶのです。 


「ああ いま あそこでは うさぎのしっぽが… 」
 



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父よ。母よ。弟よ。

父を亡くしたのは 去年の秋口(※注)のこと。

この春 父が世話人をしていた詩の同人誌から、追悼集が出た。
それを知ったのは ごく最近だった。
弟が 生前の父に託されて、詩人達と連絡を取り合いながら話を進めたということだ。
詩人としての父を、
弟よりも多分愛していたと自負している「娘」は
最期の仕事に関わる機会すら与えられず、
その間 静かに無視された。


突然 受け取った その遺稿集には 
「遺族からの寄稿」ということで
母と弟の文章が載せられた。


私 は 遺族ではない。 
私 は 父の 後継者 ではない。
詩のひとつも縁がなかった弟に 
父は 詩人としての自らの「その後」も託してしまった。


私 は 疎外された存在。
そんな悔しさが 静かにわきおこる。
何度も味わった この種の疎外感。
それは いつから 宿ったか。


まず、姉が生まれ、3年後に 私が生まれた。
「また女」と落胆された。
しかし 私は ある年齢まで 「長男」として育てられたように思う。

勉強もできたし学校でも目立っていた。
音楽をやらせたらやらせたで、どんどん上昇気流に乗った。
だから。
たしかに ある時期まで 男 として 育てられていた。 
母親に。
(拙稿「黒いランドセル」参照)


7年後 弟が生まれた。 待望の「長男」の誕生。
産院から帰る父親は小躍りしていたそうだ。


「長男」が高校生になる頃 娘 は 少しずつそれまでの役割を剥奪された。
それはそうだろう。本物の長男が登場したのだ。
代替品にはもう用はない。


静かな疎外 が始まる。


・・・・大学。

私が本命の国立に落ち、
滑り止めの早稲田に合格したとき、母親は何と言ったか。
『国立に落ちたんだから就職しろ』の一点張り。
父親の取りなしで どうにか大学に入ることができた。

・・・・就職。
現役合格、留年なしで卒業して、いわゆる「一流企業」と呼べるところに就職した。
これで母親にも認めて貰えるのだろうかと たぶん私は思ったはずだ。
母親のご機嫌取り。
そして 社内結婚。

そのころ 弟の大学受験を迎える。

弟は いつも 私の後を追っていた気がする。
高校受験のときは 私の行った高校を目指したがかなわず、1段下の高校へ。
そして 大学受験。
やはり 目指したとおりにはいかず 2年も浪人生活を送る。
その結果が 明大。


母親は何と言ったか?・・・・・何も云わない。
『男の子なんだから』
何が??
就職しろとは 口が裂けても言わなかった。
私の時とは違って。
2年浪人しただけではない。
弟は その後 ご丁寧に「留年」までしたのだった。

しかし 母は 何も云わない。


・・・・・・・・・・・おそらく 母も弟も 
そういったことに一生無自覚=イノセントなままなのだろう。 
私がこのように心の底にずっと消えぬものを抱えていることなど気づくはずもない。

そう。
疎外は まだ続く。

10年ほど前に父が 
生まれて初めて 分譲マンションを購入しようと
物件探しをしていた頃のこと。 
不動産購入経験が2度ほどある私は、
乞われて、一緒に物件を見につきあったものだ。

ある物件はメゾネット方式になっており、室内に階段があった。

母が ひとりごつ。

「こんな階段があったら、
もし将来 ●●(弟の名)のお嫁さんが
妊娠でもしたとき、危ないわよね」


その台詞を聞いたときの私の心中がおわかりだろうか。
母にも弟にも永遠にわかるはずのない、ショックを。


話せば長くなるが聞いていただきたい。


その1年ぐらい前のこと。
私は切迫流産で大学病院に入院していた。
私の2度目の夫と暮らし始めて半年ぐらいのことだった。
夫は多重債務者だった。
しかもそれは結婚することが決まってから明かされた秘密だった。
内部事情もいろいろあるが、
私は信じた人に手ひどく裏切られたという想いから癒されぬまま、
どうにもならぬほどの借金に追われる生活のさなかだった。
調べてみると夫の多重債務は優に1000万を超えていた。
悪いことに私自身がバブル崩壊で不良債権化した中古マンションのローンを抱えて身動き取れなかった。
経営参加していた社員数名の零細企業は売上が立たず給与も遅配。
しかも夫の(生い立ちから来る)性格的な問題点も明らかになり、
不安のどん底の中での妊娠だった。

私が走り回らなければ会社が回らないのに
入院などしていられる身分ではなかった。
おまけにK病院は大部屋がなく差額の必要な2人部屋。
経済的事情で、
たとえ産んでも 自分ひとりでは 育てられない、という絶望。

それだけではない。
もっと深刻な不安があった。
産んでも 
夫がどう子供に対するのかを想像したら恐ろしくて産むことを躊躇した。
なぜならば夫は崩壊家庭の子息で、父親を激しく憎んでいた。
彼が母親の腹の中にいたときに
こともあろうに実父が
「経済的に無理だから堕胎せよ」と
家計簿を証拠書類に家裁に堕胎を申請したのだそうだ。

父親に殺されかかった子供。それが彼だった。

その憎悪は計り知れなく、
父と息子の間の確執を温存したまま生きる夫は、
生まれてくる子供が万一男の子だったら、間違いなく・・・・・・

もちろん夫は妊娠を喜んではいなかった。


そこへ 見舞いにやってきた母親は、こう言ったのだ。

「あんた、
 自分たちだけでどうにかできないんなら 
 早いうちに始末(=堕胎)しなさいよ。
 親をアテにされても困るんだから」



一生忘れない、その台詞。


あの入院時代は忘れもしない。
病室は2人部屋だったが、
隣のベッドには家族全員から妊娠を祝福された妊婦が寝ていた。

私は孤独だった。
誰も味方がいないと思った。
おそろしかった。


娘には 
子供を始末しろという台詞を平然と吐いた その母親が
当時まだ恋人の影すらなかった弟の 
「未来の赤ちゃん」のことを 心配する。
その残酷さ。

あなたに わかるだろうか。
私の心中が。


・・・・・・・そして 父の入院。死去。
確かに私は一緒に暮らしていない。
だからといって。
やるせないのは、
母も弟も 
まるでそんなことには気づきもしないだろう、という現実だ。



私は この淋しさを どこにぶつけようか。

そう。
そういうときに 心をみつめ
自分を保つために
「書く」ということを
その生き方で教えてくれたのが 父だったのに。


私は 書く。
私は、こうやって コトバに向き合う。

そうすることによってしか、私は私をつなぎとめることができない。

父よ。
母よ。
弟よ。

私は あなたたちから 静かに疎外され 遠くにいる。
遠くで 今日も ことばと格闘している。




2006年初稿

(※注) 2006年時点。父は2005年秋に他界した。





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かけがえのない、今

春の美しい時期は、なんと短いのだろう。 


近所に雑木林の美しい散歩道がある。 
天気の良い春の一日に、ふらりとそぞろ歩きで小一時間。 
私の「太陽電池」は それだけでも充電される。
たった5日後にはこの芽吹きの美しさは失われ、濃い緑が浸食してくるだろう。
そう。まぎれもなく「失われる」のである。
私には、それがまるで永遠に失われてしまうかのように胸が痛むのだ。


人は云う。「春は毎年巡ってくるじゃないか」と。
『今年がだめなら来年でいいじゃない。』
気軽に言う。

だけど春は何度でも来る、だなんて ただのレトリック。
「去年の春」と「今年の春」と「来年の春」。
ひとつひとつが、かけがえのない、取り返しのつかないものだ。



こんな感覚におそわれるようになったのは
多分 30代半ばぐらいから。
世間的にはまだ大した年齢ではなかったのに、自然や季節に対してやたらと過敏になった。
春に萌えたつ雑木の散歩道にさしこむ、輝くばかりの木漏れ日の美しさにさえ、たまらず涙ぐんでしまうほど過剰にセンシティブになった。
確かにどうかしている。 

だが、何かが私をせき立てる。 


  このひとときは、取り返しのつかないひととき。
  このひとときは、「いのち」のひとしずく。 
  このひとときに対して真摯であれ。 


この一日が another day と同じだなどと誰が言った。 
one of them だなどと。


そう。
春は年に1度 ”しか”めぐってこない。 
それはどういう意味かというと、
ひとはだれも自分の寿命分しか春を楽しめはしない、ということだ。

それは配給の限られた限られた貴重な『資源』。
あなたは今何歳?
例えば40歳だとしようか。
もし80歳で死ぬならあと40回しか春は来ない。
4000回ではなくて40回。
たったの40回。
1から40までなんてあっというまに数え終わる。
目の前の春はそのうちの貴重な1回。


私がこんなに思い詰めたのだから、75過ぎた父親や母親【注】にとっては、この美しい春はどのように映ることであろうか。


この春、父親は都内各所の桜の名所の公園などに精力的に出かけたようである。
「急がなければ」という気持ちになっているのかもしれない。
最近 しみじみ考えるのは そういうことばかりなのである。


人生に
「かけがえのないもの」
「とりかえしのつかないもの」
そういうものばかりが折り重なってゆく。
ひとひら、また ひとひらと舞い散る桜の花びらのように。



【注】 2005年秋現在 父は病床で寝たきりとなり
    逝く日を数えるばかりとなった。
    父はおそらくもう一度春を迎えることはないのだろう。




2011年追記:

父は2005年9月23日永眠した。二度と春と味わうことはなかった。
本当にあれが「最後」の春になった。




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「私たちは皆、無自覚に病んでいる」

山本文緒の「シューガレス・ラブ」という短編集を読んだ。
そのなかの一編 「秤の上の小さな子供」 より。



登場人物は柊子と美波という二人の女性。
二人は大学時代の友人だったが
ある日 街で再会する。

美波の現在の職業はソープ嬢。


美波は昔から並はずれてデブだった。
それなのに 学生時代から何故か男にもてた。
納得がいかない柊子。柊子は必死のダイエット中なのである。


美波のことば。

   「ねえ、本当に面白いわね。
    もてたかったら 痩せろって 世の中は女の子を煽ってるじゃない。
    雑誌でもエステの広告でも。
    でも、痩せてようと太ってようと 美人だろうとブスだろうと、
    もてない女はもてないの。」

柊子 「美波はもてるものね」

美波 「そうね。私には自分がないから」

柊子 「?」


美波 「ねえ、私が今まで会った人の中で 
愛されたいって思ってない人は一人もいなかったわ。
    男も女も、あなたもそうよ。皆愛されたがってるの。
    話を聞いてほしくて、 肯定してほしくて、
    頭を撫でて可愛い可愛いって言ってほしいの。

    だから私はそれをしてあげる。 ただそれだけのことよ。

    世の中には愛されたがってる人ばっかりで、
    愛してあげられる人はほんの少ししかいないの。
    貴重がられて当然よ。」




柊子は、痩せさえすれば、
テレビなどで見かける女の人のようになれば   
自分も幸せになれると思っていた。
だけど 彼女は結局のところ  18のときと変わらず
何も持っていない不安な、孤独な子供のままだった。

少しでも太ったら  もっと失ってしまうような気がして
食べ物が喉を通らなかった。

彼女は疲れ切っていた。


美波を通して 柊子はやっと気付いた。
自分がこんなにも飢えた子供だったことに。
それなのに
どうやってものを口にしたらよいのかわからないのだ。



  そして小説のなかの「柊子」は語る。(以下引用)



美波にしても ただ単に「もてている」だけなのだ。
彼女は穴の開いたバケツのようなものだ。
いくら入れてもいっぱいにならない。
そして人がものを入れなければ、彼女はタダの外側だけなのだ。
自分がない、ということはそういうことだろうか。




この一編は強烈に私の印象に焼き付いた。

美波のいう、それは ほんとうに  「愛する」 ということだろうか?


自分のない人に  話を聞いてもらって、
片っ端から肯定してもらって、
頭を撫でて  可愛い可愛いって言ってもらうこと、

穴の開いたバケツに 自分という液体を ありったけつぎ込ませてくれること、



それが「愛されること」だと  あなたがたは錯覚しないほうがよい。

もちろん それが「愛すること」だとも。




2006年初稿




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潔い女(ひと)

1990年台前半か半ばのことだったろうか。
「彼女」はとても印象的だった。

私の仕事はいわゆるシステム開発屋さんであったが、
当時は「コンピュータ教育」の項目でもタウンページに登録していた。
「彼女」はそれを見て飛び込みでやってきたのである。
 

それは、ある日かかってきた
「パソコン教えてもらえませんか」
という電話から始まった。

私の会社では、個人相手のパソコン教室はやっていなかった。
電話の向こうの彼女は臆せず続ける。
「お金がないから1日分しか出せないんですが」
 
普通ならば即座にお断りするところだが、
私は彼女の様子にたいへん興味をそそられた。
たまたま手が空いていたから、そのまま話を聞いてみることにした。
結局のところ、1日だけ、しかもたった1万円という破格の料金で
教えられるだけのことを教える約束をしたのである。
これは完全なボランティアである。
その動機は、彼女という人物に対する「好奇心」だった。


そして約束の日、「彼女」はやって来た。
見ると、お腹が大きい。
聞けばアメリカから帰国したばかりという。
彼女は20代後半、配偶者の転勤で日本に戻ることになり、
一足先に住居探しなどのために帰国したそうだ。
もちろんダンナの稼ぎだけでは暮らせない。
パソコンのプライベートレッスンを受けるのは、
日本での就職を少しでも有利にするため。
彼女が渡米前に持っていた僅かなワープロの知識だけでは
役に立たないと思ったのだそうだ。

それはそうだろう。
この世界は日進月歩なのだから。

「でも1日では大したことは出来ないですよ?」
と聞くと、それでもいいのだ、という。
面接で「はったり」をかませられるように、
とにかく付け焼き刃でいいからどうにかして欲しい、ときっぱり述べる。

その迫力にこちらも「やれるだけやりましょう」ということになった。


さて、レッスンの合間に雑談していたところ、
彼女は「足立区」に住む予定だという。
なぜ足立区なのか?
その理由を聞くと、これがまた面白い。



子供が生まれる → 生活できないので自分も稼ぐべし 
        → 子供を預けなければ働けない
        → お金はない
        → 公立の長時間保育園に入れるべし
        → 当然、どこも待機児童でいっぱい


ここまでは皆さんにもお馴染みの状況だろう。
普通はそこでフルタイムを諦めたり、親に泣きついたりするのだろう。
ところが、彼女はその先が普通と違うのだ。


「あちこち役所に電話をかけまくるんです!」


そうやって絨毯攻撃をした結果、足立区でやっと空きを見つけたというわけだ。
かくして、引っ越し先は足立区に決定。 


素晴らしいではないか。
実に明解だ。
私はこういう「潔い」人がとても好きである。
自分の目的が大変明確で、その為のメソッドを無駄なく実行できる。
とても筋が通っていて、聞いていてものすごく気持ちがいい。


お金がないからフルタイムで働く。
面接でハッタリをかますために、パソコンのイロハを1日で身につけようと思う。
そのために体当たりで電話帳片手に予算内で望む結果を与えてくれるところを見つけだそうとする。

予算的にも公立長時間保育園が絶対条件。
だから、保育園が空いている土地に自分の側が移住する。
 
ロジカルだ。


彼女は「実現できないことの言い訳」を絶対にしないだろう。
「地元に空きがないから仕方がない」というのは言い訳で
現実には空きのある土地に自分が移住するという選択肢があるわけだ。
どちらを優先するかの問題であって、優先順位をつけて選ぶ主体はあくまでも本人だ。



誤解しないで欲しいのは、
私はすべての人がそういう選択をすべきと言っているのではない。
地元にいたい ということの優先順位がより高いために、
そのために公立保育園をあきらめる、
またはフルタイム就業を諦める、と、
自らの意志で明確に「選択」するぶんには問題はないのだ。

真の理由をごまかして責任転嫁することが潔くない、と言っているだけだ。

彼女のような人がもっと増えたら世の中は大分住みやすくなるのだが。


彼女は今も何処かで元気良く、彼女の息子か娘と生きているのだろう。
そう想像するとなんだかこちらまで楽しくなってしまう。





余談であるが、いつだったか朝日新聞投書欄である専業主婦の投書を読んだ。
専業主婦優遇策(年金掛け金タダなど)を見直すという政府の方針に対する憂慮の投書である。


「結婚したら退職しなければならない会社だったので、
退職し、今は子供が出来て働けない。 
なのになぜ?
 社会のせいなんだから、
責任取ってくれてもいいじゃない!」



たしかこんな趣旨だったはずだ。
 
つまり自分が現在収入がないのは自分のせいではなく、夫や世の中のせい。


だから、自分の保険料は
有責者である側が負担してくれるのが当然なのに、
なんで後ろ指さされなきゃいけないのだ、
というような感覚である。

思わず、苦笑してしまう。
そして、「足立移住予定の彼女」のことを思い出してしまった。
おそらくこの主婦に彼女のような人のことを話しても、
「そう言う人は『特別』な人なのよ。
皆がそんなに『強い』わけではないわよ」

とでも言うのだろう。
(この辺、内田春菊の「幻想の普通少女」などを連想しつつ書いている。)



彼女は『特別強い人』でもなんでもない。 
自分の人生を自分で選びとって、
それを納得して生きている「潔い人」であるだけである。
「強い」からそうするわけではない。

勘違いしてもらっては困る。


そもそも女子社員は結婚したら退職、
という方針のその会社を選んだのは誰?
 
この主婦は30代前半だったから、時代的には他にも選択肢はあったはず。
本人がOL時代に「いつかは寿退社」と思ってだけのことでは?


百歩譲っても、それで風習に従って会社を辞めたのは【自分が選んだこと】であると何故自覚しない?
世の中にはそういう会社方針に逆らって
自分の意志を貫く女性はいくらでもいる。
選択肢はあったはずだ。
少なくとも 「何か」と天秤にかけて、
角を立てない方を自分が選んだはずだ。


『その方が楽』だから。


だから 「結婚退職」は自分が選んだことであって、誰のせいでもないのである。
結婚したら家に入って欲しいというダンナを選んだのであれば、それも自分の選択。
(もしくは、そういう価値観の男性に
 「私は家庭的よ」と媚びを売ったのかもしれない。)

全ては「自分のせい」である。
世の中のせいではない。
自分が好きで維持している御身分に対して、
なんで他人が保護してやらなければならない?


子供が居るということ自体は、
本来は働けない理由には全くならない。

それで働けないというのは 自分の中に理由があるのである。
決して世の中のせいではない

専業主婦を選んだのが
まるで不本意であるかのような物言いが、中途半端で不愉快である。
いいじゃないの、「専業主婦」で。

「私って働かないですむなら働きたくないし、
 専業主婦の方が向いてると思うからやってるの。」

・・・そう明言すればよいだけである。
但し、自分の趣味でやってるわけであるから、
それをお上や世間に優遇してもらう「権利」があるなどと
思い違いしなければいいだけのことなのである。


そう。それだけのことである。

本来 有職者と無職者は 同等だ。
どっちだっていいのである。

自分が選んだという自覚と責任さえ持てれば。それが自由というものだ。

「お金がある人に 自分の分まで払ってもらおう」
 という発想は、乞食の発想だし、とても意地汚くて嫌いである。
 お金がないなら、稼げばよい。
 単純なことだ。
 あれこれ理屈をつけて言い訳する必要なんかない。
 病気で動けない人は保護の対象になるが、
 健康な人を別に保護する必要はないではないか。


自分のことは自分で。
自分の人生は自分で選び、自分で落とし前をつけよう。


働くも働かないも自分の自由。
だから
その結果生じる経済力格差もまた、
自分の選んだことである。


・・・・たったそれだけのことである。 なんて簡単なんでしょう!

みんな、もっとロジカルになろうよ。



(随分前に書いたものを加筆訂正)



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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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