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★詩の目次



 
■自分の詩の目次
自作詩の一覧


 
■随想集
蜘蛛の巣
理屈っぽい小学生
太陽の「白」
私は石になりたい
黒いランドセル
「鎮魂歌」~木原孝一さんのこと
根源的な渇き
潔い女(ひと)
「私たちは皆、無自覚に病んでいる」
かけがえのない、今
父よ。母よ。弟よ。
冬の海
「つながる」
猫。
人生は1本の蝋燭だ。
喪失
マッチ売りの少女
WE(僕たち)ではなくて I(私は)
星よりも遠く
病床に母を見舞う
金継
無神経で無知なるものたち
宮部みゆきの「模倣犯」
子供は親を選べない
心に残る映画たち(その1)「天井桟敷の人々」
ふたつの正義の対立~窮屈で不寛容な世の中
「広告とは批評行為である」天野祐吉
大切でなくても大事にすると大切になる話
決して分かち合えぬもの
人生初MRI〜老いるということ
「一緒に起きよう」
自己分析―カレン・ホルネイ







 
■好きな本から その他
白いロケットがおりた街
「星の王子さま」
銀河鉄道の夜~さそりの話
泣いた赤おに
よたかの星
あたしが娼婦になったら<ある17歳の詩>
(マザー・テレサのコトバより)

 

 
 
■高野 喜久雄
下さい
あなたに
椋鳥は
ひとりの友に
深海魚

独楽
くちなし
日々
噴き上げ
椋鳥は
折鶴


弦(いと)
枇杷の実

たぶんわたしは
あなたに
崖くずれ
愛するとは



 
■黒田 三郎
苦業
洗濯
九月の風
時代の囚人(抜粋)
ああ
夜の窓
夕焼け
夕暮れ
夕方の三十分
紙風船
ただ過ぎ去るため
引き裂かれたもの
僕はまるでちがって
もはやそれ以上
出発
ある日ある時
そこにひとつの席が



 
■谷川 俊太郎
三月のうた
信じる
生きる
かなしみ
死んだ男の残したものは
九月のうた
殺す
わたしの捧げかた
庭を見つめる


未来の仔犬
からだの中に
私が歌う理由(わけ)

空の嘘


 
■吉野 弘
日々を慰安が
生命は

奈々子に
みずすまし
祝婚歌
雪の日に
夕焼け
I was born

 
■長田 弘
「感受性の領分」より
「すべてきみに宛てた手紙」より
最初の質問
きみはねこの友だちですか
こんな静かな夜
渚を遠ざかってゆく人

 
■八木 重吉

ひかる人
草をむしる



「鞠とぶりきの独楽」より
素朴な琴
うつくしいもの
「秋の瞳」序文

 
■中江 俊夫

夕方
夜と魚

 
■宮沢 賢治
銀河鉄道の夜~さそりの話
よだかの星

 
■石垣りん

この世の中にある


 
■茨木 のり子
汲む
自分の感受性ぐらい


 
■新川 和江
わたしを束ねないで
ふゆのさくら

 
■田村 隆一
帰途

 
■木原 孝一
鎮魂歌


 
■中原 中也
月夜の浜辺

春日狂想(抜粋)
汚れっちまった悲しみに
湖上
サーカス
逝く夏の歌

 
■室生 犀星
木の椅子

 
■三好 達治

昨日はどこにもありません
鴎(かもめ)


 
■高村 光太郎
ぼろぼろな駝鳥
死ねば

 
■永瀬 清子
だまして下さい言葉やさしく
あけがたにくる人よ
若さ かなしさ


 
■金子みすゞ
雀のかあさんく

 
■立原道造
枯木と風の歌
のちの思ひに

 
■吉原幸子
猫よ

江の島

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自作詩 <目 次>

104  もつれた糸
    こんがらがった糸/ ほぐせない糸/ …
103  花束
    春の庭の花に胸をときめかせながら/ 花束を作った/ …
102  夏至
    「夏至」は一番さみしい日だ。/胸の奥がちりりと痛む/ …101  募金箱
   胸に 鉛のかたまり/ 私を押しつぶそうと…
100  残像
    あなたは消えた/わたしは消えた/ あなたの心のなかのわたし…
99  白昼夢
    意思を持って強く念じれば/ 夢も真(まこと)になる…

98  虚空
    誰もいない/なにもかも 寂しい…
97  約束
    約束があるから/日々を生きている…
96  コトバなど
    言葉は私と誰かを繋がない。/言葉はひとと私を隔てる…
95  さくら
    今日もまた/部屋に満ちる/薄めた鉛のような時間…
94  ひとり。
    古びた写真の中の笑顔/私はもうそこには居ない…
93  Happy Birthday
    求め続ける心を/隠しながら…
92  亡霊
    固く抱きあい/ひととき儚い夢を見た私達…
91  止まらぬ音
     かたちあるものならば/手で触れ/鍵をかけて…
90  刻印
   なぜ 今さら私は泣くのだ/心に刻まれた刻印…
89  
    話していた時は気にも止めなかった言葉が/ずっとあとで…
88  蜘蛛の巣
    無造作に壊される/緻密に張られた蜘蛛の巣…
87  逝く
    消えかかった蝋燭の、弱々しい炎。/あるいは、…
86  憧憬
    静かに頭のなかに響く音に耐える/1耳をふさいでも塞いでも…
85  貝殻
    100度書いて/100度消す…
84  私の棺に
    3月に死んだら棺に沈丁花を/…
83  ゆふぐれ
    秋は その空気に/すでに 冬を孕む/…
82  
    伝えたかったものは/何だったのか/…
81  
    秋のよく晴れた朝/冬に向かう太陽/夏に向かう太陽…
80  暗闇
    薄明かりの中/離れてベットに横になると/…
79  呪い
     行かないで/私の手を離さないで/…
78  
   私は あなたに呪いをかけた/あなたの心がどこにも行けないように
77  fiction
    みてくれほどに あたたかいわけではない/…
76  音楽
    あなたは求めてやまぬ神/…
75  霙(みぞれ)
    雪になりきれぬ/ゆめの残り香…
74  
    愛は/自分が自分にかける呪い/…
73  一寸の虫にも
    老猫とみつめあう/たましいと たましいが…
72  
    あの夜/激しい雪の向こうに立っていたのは/…
71  9月
    美しい秋が来る/…
70  黄泉坂
    刻々と日々が過ぎてゆく/目眩がするような/…
69  蜻蛉
    たしかに/それは…
68  言霊
    その心の狂おしい動きに/軽々しく名前をつけるな…
67  かげろうの卵
    ことば以前のなにか/ことばにした瞬間に…
66  荒野
    信じていたものすべてが/汚れきってしまったとき…
65  楽器
    チェロはね 中身が空洞だから/きれいに響くんだよ…
64  無力な音
    寂しいから 弾く/弾くと 寂しくなる…
63  ねこになりたい
    猫になりたい/鳥になりたい…
62  春宵
    薄闇の中 /ほの白く浮き上がる満開の桜の下を…
61  弾く
     弾けば/千の針が心に刺さる…
60  暮れゆく春の庭で
    知っていた/それが 嘘でも 輝いていた…

58  かなしみ
   薄いグラス一杯に張られた水の表面だ/…
57  プロメテウスの火
    歌うたび/喪ったものにえぐられる…
56  月を追われた兎
    月には かつて兎がいた/いまは もう いない…
55  私の想いを
    私の想いを/一匹の猫にたとえたら…
54  空っぽの椅子と
  (2011)
53   ひっそりと/私の「現実(うつつ)」の中には いつも…
  宝箱
    何を守ろうとしている? /「宝箱よ」…
52  音楽
     眠れぬ日々の夢とうつつに/目眩の中で弾くBACH…
51  恋は
    恋は/ さながら悪い夢…

50  秋の別れ
    秋が来るたびに私は哭くだろう/…
49  渇く
    まるで海水のように/飲めば飲むほど…
48  からだを通して
    からだを通して/愛は執着にかわり…
47  残酷な獣
    アクセルとブレーキを同時に踏み続ける/…
46  あなたが求めるものが
    あなたが求めるものが 美しい花ならば/わたしは花になろう…
45  
    文字にはできない/岩のような 想い…
44  深海魚のように
    すべての扉を閉じて/静かに…
43  あおおに。
    「泣いた赤鬼」の中の「青鬼」のように/…
42  森の中で
    深い森の中で/迷子になって 泣いている子供…
41  こころは
    こころは/見えない檻のなかに…
40  孵らぬ卵
    孵りもしない卵を抱いて/…
39  夜の海
    心は しばしば/私の予想を裏切る…
38  猫は
    なにも定義しない/ただ ただ…
37  わたしは  
    わたしは一冊の本/わたしは一遍の音楽…
36    
    わたしの弦と/共鳴しあう弦を持った…
35  逃げ水
    悲しみ…/いったい何の悲しみ?…
34  私がほしいものは (2010)
    私がほしいものは/…
33  春の夜のひとりごと (2010)
    あなたの幸せで心に灯がともること/…
32   (2010)→★改訂 2011/4
    私は 私の森の中に隠れる /…
31  閉め出された子供 (2010)
    扉の中に入りたいけれど/鼻先で 扉は閉まる…
30  冬はいつも     (2010)
    冬はいつも/誰かに…
29  石になりたくなる (2010)
    何も感じない石になってしまいたくなる/…
28  ムジカ       (2010)
    寝ても覚めても/頭の中を占拠している…
27  考える        (2007)
    私はなにに希望をつないでいる?/…
26  喪失        (2007)
    人、とだろうが/猫、とだろうが…
25  不思議な石臼    (2004)
    私の心は/停まらなくなった石臼…
24  虚空        (2003)
    私の心は 中空でとまったまま/…
23  意味        (2003)
    私が知りたかったのは「意味」/…
22  失われてゆくもの  (2001)
    失われてゆくもの/それは/鏡の中の私…
21  冬枯れ       (2001)
    孤独は/静かに 心をむしばんでゆく…
20  無題  
    いろいろなことのあった 十九のわたし/…
19  抱擁  
    恋しい人との抱擁/それは いつも…
18  きんもくせい   (Aged 30)
    ああ/そうか/この 香り…
17  無題       (Aged 29)
    桜の花 や 梅の香 /くちなしや 沈丁花…
16  恋        (Aged 29)
    人生 という/長い夢の中で…
15  魚─別れるひとに─    (Aged 27)
    私の猫はいつも暗い方をみつめている/…
14  月と魚──恋しいひとに─ (Aged 27)
    わたしは 深い夜の海に棲む魚/…
13              (Aged 24)
    朝一番に/ブリキの洗面器に張った水のような…
12  無題~カタツムリ     (Aged 22)
    聞きたくもないのに 一方的に/…
11  ガラス玉         (Aged 22)
    まるい ガラス玉はうつくしい/完全で…
10       (Aged 20)
    それなのに あなたは/コトバを手放そうとはしなかった…
9  扉     (Aged 19)
    おそるおそる/そちらを向いてみる…
8  別れ    (Aged 19)
    日が暮れて/鳥が飛んで…
7       (Aged 17)
    扉をあけると/そこは 雑踏…
6       (Aged 17)
    海は 風と一緒になりたくて/荒れ狂う…
5  夕暮    (Aged 17)
    からだの中に うずまく/ことばたち…
4  薄暮    (Aged 16)
    何も云ってくれないから/わたしは いつも おきざり

3  無題    (Aged 16)
    なにも見ない眼と/なにも云わない口と…
2  無題    (Aged 16)
    心よ凍てつけ/こおってしまえ…
1  黄昏   (Aged 15)
    夕暮れ時/いつのまにか一羽の鳥になって…

  


  

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自己分析―カレン・ホルネイ

自己分析―精神分析は自分でできる (1961年)
カレン・ホルネイ


18歳の頃に読んだ本ですが、自己分析の手法を専門的に記述してあります。
 
高校時代に心理学の本を読み始め、更に進んで精神分析医の著書を多数読みました。
 
その中でもその後の人生や物の考え方に多大な影響を及ぼした著書がいくつかありますが、
これは間違いなくその一つです。
(他にはR.D.レインの「結ぼれ」「自己と他者」「引き裂かれた自己」、河合隼雄の「カウンセリングを語る」「母性社会日本の病理」などなど)
 

この書籍の中で解説されている自己分析の手法のひとつに「自由連想法」というのがあります。
私は高校時代に自分自身に対してこれを実行してみました。
 

記憶を頼りにやり方のエッセンスをご紹介します。
  

1.大学ノートなどを用意する。
2.自分の人生を遡り、思い出す出来事を、思い出した順に書き綴る。
 
順番は時系列にこだわる必要はなく、頭に浮かんだ記憶を浮かんだ順にただ書き記します。
その記憶にまつわる自分の感情や印象も含め、すべてを書き出します。
これを延々続けます。
何日かかってもかまいません。 

最初は雑多なことがどんどん浮かびます。
これは心の表層部分にあるものたちです。 

大分作業が経過してから、「あれ、あんなこともあったな。結構インパクトあったのになんで忘れてたんだろう」 といったものが出て来るようになります。 
 

最終段階になると、書くのがキツい出来事が浮かんできます。
どうしても書きたくない。書くのが苦痛。
封印したい葛藤と闘わなくては書けないような出来事です。
 

ここからが肝心です。

 
葛藤が大きいもの、抵抗の大きい記憶ほど自分の精神の深層部分、根源的なところに近い重要な出来事です。
 
死ぬまで隠しておきたかったような事も含みます。 


これらも、全て文字にして晒してゆくのです。
かなりキツい作業でした。
あの時のノートは絶対に他人に見られるわけにはいかない、そういう部分まで引きずり出しました。
 

それらのうちで、今となっては完全に客体化されて整理をつけた事柄のひとつを例に挙げてみましょう。
小学校低学年の時に起こした事件です。
 

7歳か8歳かそんな年齢の時と思います。
川崎の元住吉から横浜まで、分数チェロを母親が担いで、チェロを習いに行っていた頃。
先生の住むアパートの屋上に、同じ小学生の生徒仲間数人で上がって遊んでいました。
鉄筋コンクリートのアパートの屋上には、コンクリート礫がいくつも転がっていました。
今だったら考えられないことですが当時はそんなことは普通にありました。 

小さな子供たちにとっては、
子供にはちょっと重いそのコンクリート礫を持ち上げられたらヒーローです。
調子に乗った私は得意げに持ち上げてそれを屋上から投げ落としたのです。
 
そして、屋上から降りたあとに、その報せが来ました。 

私の落としたそれが下に居た若い(多分)女性に当たり怪我をさせたらしいのです。
親に連れられて泣きながら謝りに行った記憶があります。
顔に怪我をさせた、というような記憶だけど曖昧です。
 
おそらく恐ろしい大罪を犯した意識のため、
忘れたい、逃げたい一心でその記憶を私はその時まで完全に封印していたのです。
  

この記憶が浮かんだのは作業が相当進んだあとでした。
 


それだけ深い傷になって隠されていたということです。
子供の私には背負いきれず処理しきれなかったのでしょう。
処理されないままの形で封印された傷は有害です。
 
この自己分析を行ったときそれを感じました。 

これが面白いところなのだけど、
遠い過去の自分の心の問題点に対して、
処理可能になった現在の自分が
時間を遡って、対面し、癒やして解決してあげることが可能なのです。
  

いってみれば、17歳の自分が
タイムマシンに乗って
7歳の自分に逢いに行って
話を聞いてあげて、
ちゃんとカウンセリングしてあげる、
そういう作業が出来るのです。
 

自分以外の誰にもカウンセリング不可能な、自分の心の問題というのが人間にはあります。
結局のところ、自分の心を救えるのは自分しかいない、ということをよく私は感じます。
 


この「自由連想法」はやり方を守れば誰でも出来ることです。
 
心の棚卸しをして、自分の心の全てと対話するのは、
とても大事なことだと思います。
 
 

あなたの中には、
ひとりぼっちで森の中で迷子になっている傷ついた子供は棲んでいませんか?
  

もしいたら、その子供に逢いに行ってください。 

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

大切でなくても大事にすると大切になる話

弟から以前誕生日に貰った小さな蘭の花が今年も咲きました。私はガーデニングはするし植物好きですが実は蘭は趣味じゃないので、貰ったときは「面倒だなあ、こんなものくれて」と思いました。

だって、花が終わったあと長いこと面倒を見なきゃいけない。しかも、外では育てられないから鉢植えのまま。
生命あるものですから、捨てるわけにも行かない。

最初の年は何もせず放置して忘れ去りました(たまに水はあげました)。翌年の春のある日、いつの間にか咲き誇ってるのに気づきびっくりしました。花芽が出来ていたのも見ていなかったから支柱もなしです。

反省してその翌年は、ネットで調べて水苔などを買ってきて植え替えをしました。今度はちゃんと日々気にかけて観察?もしたので、新しい根や、花芽が出たときもすぐ気づきました。支柱も添えました、そして開花。

相変わらず、蘭よりノースポールやネメシアやネモフィラなどを外で育てるほうが好きですが、しみじみ感じたことがあります。

「大切だから世話する、というより、
世話するから大切に思えてくるのだ」

これは以前から感じていたことではあります。思えば「星の王子さま」の「たったひとつの薔薇」への思いも本質的には同じことを言っていた!

その相手のために時間をいっぱい使ったから、それがたったひとつの大事なものになる、ってやつ。

自暴自棄になってメンタルボロボロで浮上できないときには、ありったけの気力を振り絞って兎に角シャワー浴びて髪を洗って、綺麗にお化粧して、ちゃんとした装いをしてみることにしています。そうすると自分を愛せる気がするから。



大切に思えないものであっても大切に扱ってみるのは、人生に良い結果をもたらすかも。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

「一緒に起きよう」

忘れられない文章があります。
高校時代に友人の通う女子校の文化祭に行ったとき、立ち寄った文芸部のブース。
貰って帰った部員の作品集の中にこんな内容の随筆がありました。遠い昔の記憶だけど内容はよく覚えています。

公園の砂場で見かけた光景を綴ったもので、
小さな子と少しだけ年上の女の子のやりとり。
小さな子が転んだか何かで泣き出した。
それを見ていた女の子が駆け寄り、いきなり砂場で転んだ。
驚いて泣き止む小さな子。
女の子は座り込んだまま
にっこり笑って顔を見合わせ、こういった。
「一緒に起きよう」
小さな子は「うん」といって
二人は立ち上がった。

そんなエピソードが心に響く文章で綴られていたのでした。


自分も転んで見せて同じ立場になって、
そして「一緒に起きようか」と呼びかける幼い女の子の行動から受けた衝撃。

すごいな、と今でも思います。
そしてそんな小さな光景をみずみずしい感受性で捉えた、顔も知らない作者の少女へのシンパシー。
彼女は今どんな大人になっているのかな、と想像してみたくなりました。


感受性、大事。


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人生初MRI〜老いるということ

昨日は人生初MRIでした。

左目緑内障ごく初期ということで2月から通っている眼科医から、左右の瞳孔の開き方がかなり違うことを指摘されており、一昨日よ再診時に「念の為、脳神経外科で脳由来でないことを確定してもらってください」と紹介状を出され、脳神経外科クリニックを受診したのです。

結果はありがたいことに「異常なし」。
ただし「年齢なりの影響は少し出てきてます」。脳にわずかに隙間が出始めている、とか、うっすら小さな白い点々を指して「これは血管の詰まったところ」

…原因は?と聞けば「まあ、動脈硬化ですね」とショックな言葉。


自分は、内科系では血圧も血糖値も尿酸値も超正常、アブラ系は年齢なりにほんの少しや高め、など比較的「好条件」で、骨密度は20代並みと医者が驚くほどで、これまで特に意識したことはなかったのですが、それでもこの年齢になれば血管などの体組織の劣化は「平等」に出ているのだと思い知らされました。


初めて見たに自身の脳のかたち、脳の中身。
まるでCGみたいだったけど、これが今の私なんだ、と。

そしてそれは耐性年数の終焉に向かって確実に動いている。

住宅みたいにリフォームもできない。
交換も出来ない。

“わたしの「持ち時間」は
すでに
終わりに向かっている。”


帰り道、やたらと死んだ両親の顔が頭に浮かび、逢いたくて泣きたくなりました。


「お母さん、動脈硬化だって。
私も老人になり始めてるんだね」

両親、
死んでいった4匹の愛猫

それは
『逝った者リスト』


そしてそのうち私もそちら側に並ぶのです。


今日は曇り。
湯水のように恵まれた青い空とはお別れな「春」がやって来ました。

いつも目の前の世界が今生最後って思いながら日々を過ごしています。

今日も元気に行きましょう。


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決して分かち合えぬもの

3.11
ある人に教えていただいた被災高校生のこの詩をご紹介したいです。
言葉が出てこない。

潮の匂いに。
http://sazanami-books.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-64da.html

>自分のこと しか見えない誰かは響きだけあたたかい言葉で僕たちの心を深く抉る。“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。 “未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。おまえは誰ともつながってなどいない、一人で勝手に生きろと、何処かの誰かが遠まわしに言ってい る。一人で生きる世界は、あの日の海よりもきっと、ずっと冷たい。
[引用ここまで]

これを読んで思い出した出来事があります。上っ面だけの共感の言葉の残酷さ。「スケール」は比べ物にならないのだろうけれど根底にある共通点

高校の卒業式の日の午前2時頃にクラス担任の先生が亡くなりました。数学教師でした。
まだ28歳の若さ、結婚も決まった婚約者を残して。初めての三年生の担任で激務により子供の頃に患った心臓弁膜症が再発し逆流した血液でできた血栓が脳に詰まり昏睡状態のままの死でした。
受験生に動揺を与えないようにという学校側の配慮で入院していたことすら前夜まで知らされていませんでした。
連絡網で事態を知って、当時放送委員長だった私はクラスメイトに頼まれ、先生が楽しみにしていた卒業式の様子を生録して病院に届けようと手配し、朝早めに学校に行ったところで級友より死を知らされました。
クラス全員お通夜のようになり、打ち上げも中止で散り散りに。

そんな中、他クラスの女友達からかけられた言葉を今も忘れられません。

彼女は泣き腫らした眼の私にありったけの同情心に溢れた表情と口調でこう云ったのです。

『気を落とさないでね』

あの時の気持ちは忘れません。
なんという無神経な言葉だろうと。
彼女だってその先生の生徒だったのに。
他人事。永遠に埋まらぬ距離。
不誠実。
黙っていることの方がずっと誠実。

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ジャンル : 小説・文学

ビヤホールで 黒田三郎

沈黙と行動の間を
紋白蝶のように
かるがると
美しく
僕はかつて翔んだことがない

黙っておれなくなって
大声でわめく
すると何かが僕の尻尾を手荒く引き据える
黙っていれば
黙っていればよかったのだと

何をしても無駄だと
白々しく黙り込む
すると何かが乱暴に僕の足を踏みつける
黙っている奴があるか
一歩でも二歩でも前に出ればよかったのだと

夕方のビヤホールはいっぱいのひとである
誰もが口々に勝手な熱をあげている
そのなかでひとり
ジョッキを傾ける僕の耳には
だが何ひとつことばらしいものはきこえない

たとえ僕が何かを言っても
たとえ僕が何かを言わなくても
それはここでは同じこと
見知らないひとの間で安らかに
一杯のビールを飲む淋しいひととき

僕はたた無心にビールを飲み
都会の群衆の頭上を翔ぶ
一匹の紋白蝶を目に描く
彼女の目にうつる
はるかな菜の花畑のひろがりを

      黒田三郎詩集『ある日ある時』より
     (昭森社刊『定本 黒田三郎詩集』参照)

テーマ :
ジャンル : 小説・文学

もつれた糸

こんがらがった糸
ほぐせない糸


濁流のあとも
流れ去らずに
心の底に沈む美しいものたち



引き出しの中にいつまでもある
ほぐせなかった糸

 いつか ほぐせるかもしれない
 死ぬまでチャンスはある


引き出しの中にしまわれた
いくつかの
捨てることの出来ぬ
古びたもつれ糸



いつか私が消滅したら
その糸たちを
私の棺にいれず
海にそっと流してほしい



 
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海202010


心のなかにある光と影
暗闇は だけど いつか 消えてゆく

死ぬまで誰かを恨み続ける根性があったら それはそれですごいと思う
 
私は根性なしだから 負の感情を継続できない

テーマ :
ジャンル : 小説・文学

「広告とは批評行為である」天野祐吉

天野祐吉氏といえば22歳、就職活動のときの体験が忘れられない。
リクルートの就活生相手の催しで天野氏を招聘していたので、それ目当てに参加したのだ。
 
曰く 「広告とは批評行為である」
  
ここにガラスのコップがあるとする。
コレ自体はガラスでできたモノに過ぎない。
しかしこれを「コップ」と名付けることで用途が提案されたりする。つまりこれは批評行為なのである。
 
といったような要旨のことを云われたのを記憶している。
 
この言葉は ひろさちや氏の「般若心経」生き方のヒントの中のあるシーンと私の中でシンクロする。
  
簡単に書くとこんなエピソードだ。
 
山の中の庵で質素に暮らす僧のところに旅人が訪れ、一夜の宿を願い快諾される。ところが旅人は仰天する。
食事のときに出された器は、旅人に足洗い用に供されたものと同じだったからだ。
しかし僧にとっては 器は器でしかない。
洗っているのだから何の問題もない。
そこに足洗用だの食事用だのという属性をつける意味を感じない。
 
「意味付け」とは、色即是空の「色」の部分だ。


天野氏の「広告とは批評行為である」というフレーズの中の「批評行為」とはすなわち「意味づけ」ということであろう。 正確に言えば「特定の意味付けを提案する試み」である。 般若心経では意味づけを是とせず、そこからの解放が解脱何だと思うが、天野氏は人間主義だから、そういった「まがまがしさ」や「いかがわしさ」を人間の面白さとして肯定してゆく人だったと思う。
 
そして 解脱してしまったらこの世のあらゆる「表現行為」は意味をなさなくなるはず。「表現行為」とはまさに解脱の真逆をいく欲求の現れですから。

PDFだが、こちらの書評は非常に面白い。『私説 広告5千年史(新潮選書}』
http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_47_04.pdf

紀伊国屋オンライン:『私説 広告5千年史(新潮選書}




テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

エセ「正義」が嫌い(コロナ騒ぎに寄せて)

貸切り営業の美容院でオーナーとコロナ話しながらカットしてもらってきたんだけども。
同業者同士でもあちこち「かなりキツイ」ってなってると。
「ただ1ヶ月延ばすとか謂われてもさ、じゃあどういう条件になったら緩和すんのか指針出せよなって😡 感染者数これ割ったらとかさあ。ふざけんじゃねーよ」
(当然だよね)  

そこは新宿と目黒の2店舗持っててスタッフ7-8人抱えてる。
前年同月比で24%だって。
(76%減てことよ)
そこはまだ有名店系列だからましな方かも。
 

「固定費はかかるもんねえ」って会話してて、テナントビルごと休業なら家賃かからないけどねえ、それ以外は大屋さん次第だもんねえ、って言ったら、いま大家さんと交渉中なんだって。
「いま10%までは引き出したんだけど正直それじゃ小遣い程度だからね」
「(私)でもさ、それで退去してもこの状態じゃ次のテナント埋まらないじゃん?
大家的にも得じゃないよね?」
「そうそう。たからもう、その辺ちらつかせるしかないと思ってるんだけとね」
「今、不動産屋からバンバン電話かかって来るんだよね。"いい条件で物件ありますよ"ってさ。支店増やしませんかてさ。 まあ、苦しいけど、これを商機と思って勝負かけようかとも思ってるんだよね」
「(私)そのくらいのイキでないと乗り越えられないよね。ガンバレー
 でも移転するとかでも相互に居抜きでもない限りすごいお金かかるよねえ」

「それな」
 
「経済より命」とかしたり顔で言ってる人の大半は、経営者ではない「ぶら下がり」の立場で、自粛とかいわれても所得が致命的には減らない人じゃないかと思ってます。
経済的リスクは社長さんたちが被ってくれてる立場。 
自分達は多少の不自由を我慢すれば良いだけの立場。
 
そして万一勤めてる会社が資金繰りショートして解雇になったとしても手厚い失業保険で1年くらいは食べてける立場じゃないかな?
 
で、そういうとこに勤めてる人の多くは新卒からそういうレベルの環境しか知らないかもね。言わば「箱入り」。 
そして「箱入り」は箱の外を本当にはわからないんじゃないかな。
 
あれは体験するまでなかなか体験としては理解できないと思うんだよなあ。 
 
わからないくせに「経済より命」って詰め寄る「正義」って好きじゃない。

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

ふたつの正義の対立~窮屈で不寛容な世の中

アニメの中でのGWの家族旅行を「不謹慎」と批判したたったの11人の投稿がSNSとマスコミの相互増幅作用でまたたく間に広がる経緯をファクトをもとに分析していて面白い。
しかも炎上は「サザエさん批判した人」を批判する形で広がった。

これを、2つの異なる立場の「正義という名の不寛容」同士の対立と捉えていることが興味をひく。
 
なるほど、確かにそうだ。

片方がアニメ内容を不謹慎と批判する「正義(不寛容)」ならば、「フィクションにまで自粛を求めるとは、なんて窮屈だ」とそれを批判したのもまた別の窮屈な「正義(不寛容)」である。

ネットが普及したことで不寛容な社会になった、という意見。
しかしそれもまた「結局は我々自身の手にかかっている」。
 
脊髄反射で投稿せずひと呼吸。
 
【自分の周りにいなさそうな人が、果たして社会にたくさんいて、大声で騒いでいるというのは本当だろうか。仮にいたとして、わざわざやり玉に挙げるようなことだろうか。】

>今、新型コロナの感染拡大と長引く外出自粛で、多くの人が閉塞感を抱いている。生活と経済状況に不安を抱える人が増え、ストレス発散できる手段も限られている。人はこういう時には、誰かのせいにしたり、誰かを批判したりしたくなるものだ。

これはこのところ特にネットを見ていて私が感じている不快感そのものである。

「嫌な感じになってきているなあ」と。

>自分の正義の基準にそぐわない人を叩く行為によって、脳内でドーパミンが分泌され、快楽が得られる
 
というのは間違いない。
そしてなぜかネガティブな感情に基づいた投稿ほど拡散されやすい。

自分の怒りと適切な距離を置こう。
すぐに送信ボタンを押すのはやめよう。
一晩立っても変わらないか確認しよう。
 

窮屈で不寛容な世の中にしないために。

https://news.livedoor.com/article/detail/18195125/

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

猫よ <吉原幸子>


胡桃ほどの大きさの
その脳みそで

死んだ子の
顔はおぼえてゐないのだね
ただ 数だけの
ひとつ といふ数だけの
おぼろげな記憶?

おまへが 誰に教はりもしないのに
袋を破って 袋を食べて
あの子の毛並がふんはり立つほどなめて それから
両端から嚙みつぶすやうに止血しながら
上手にヘソの緒を切るのを見たとき
ほとんど <神>を信じさうになった
(<本能>といふことばでは足りなかった!)

でもその時すでに あの子は息をしてゐなかったのだ
わたしが 雪を掘って
雪の下の土を掘って
椿の根もとに 埋めたのだよ
もうひとつ 袋のままの未熟児といっしょに
(あの子には 初めから見向きもしなかった
だから 数にも入ってゐないらしいけれど)

驚いたことに
それから三日たって
おまへはもう一度 死んだ子とそっくりの子を一匹産んだ
こんどはひっそり
わたしを呼びもせず
わたしに いっしょにいきませもせずに

けれどおまへには相変わらず
ひとつ といふ欠落の記憶があったのか
(うらやましいことに
 たぶん<かなしみ>の記憶ではなく
それでおまへは 一匹を盗む
十日前に同じ種の子を四匹産んだ 実の母から
戻しても 戻しても
一匹だけを盗む
(この三日間さうしつづけてきたやうに)

母親は 怒りもせずにそれを見てゐる
やがて突然 あとの三匹の仔猫ごと
娘の傍らに引き移って
やさしく やさしく 娘をなめる
娘はまた ぜんぶの子たちを抱きかかへ
息もつかせず なめつくす

<愛>と呼んではいけないのだらうか
親子 姉弟 恋がたき同士入り乱れ
ある子は祖母の ある子は姉の
マッチ棒の先ほどの可愛い乳首にすがりつき
眠ってはなめ なめては眠り
<かなしみ>さへも宿らない
おまへたちの 胡桃ほどの脳に
宿ってゐる何かを
その深い安らぎを
<愛>と呼んでは いけないのだらうか
わたしたちの
梨の実ほどの脳で


「ブラックバードを見た日」所収(1986)


FB_IMG_1558825840521.jpg

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心に残る映画たち(その2)「家族の肖像」

Gruppo di Famiglia in un Interno
イタリア
1978年日本公開。


封切時に岩波ホールで観ました。大学1年の時。
なにしろ伏線が張り巡らされていて、
1回ではとらえきれなかったのを覚えています。
3回めぐらいに「すごい」と唸ったような。
ヘルムート・バーガーとバート・ランカスターが素敵です。
あと、あの悪魔的美少女。ぞくぞくしました。
そして舞台演劇的なつくりが好き。

カメラは 教授の屋敷から出ません。
一度だけ外部に出るが他はとにかく教授の全世界である屋敷の中です。
それも特に彼の書斎。


自分の屋敷の中に籠ってリアルな世俗の人間関係を断つことで心の平穏を保ち暮らしている老教授の世界に、有無を言わさず「外」がなだれ込んできて生の人間たちとの関係により教授の平穏はかき乱されます。
しかし 最後に全てが彼の世界から去ってしまって、
彼は「元通り」のひとりきりになるのだが そこには埋めることのない喪失感、人を愛したものだけが味わう傷跡が深く横たわっている。
人と関わらないことで得られる心の安らぎと
人を愛したことで残る欠乏、痛みと
いったいどちらが人生の幸福なのか。
若い私にそんな感想を残した作品です。

(MovieWakerより)
ローマの豪邸で静穏そのものの生活を送る孤独な教授が、ある家族の一群に侵入され、そのことによっておきる波紋をヨーロッパ文明と現代貴族のデカダンスを根底に描く。製作はジョヴァンニ・ベルトルッチ、監督は「ベニスに死す」のルキノ・ヴィスコンティ、助監督はアルビノ・コッコ。「若者のすべて」以来ヴィスコンティ映画の常連エンリコ・メディオーリの原案を彼とスーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリが脚色。撮影はパスカリーノ・デ・サンティス、音楽はフランコ・マンニーノ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術はマリオ・ガルブリア、衣裳はヴェラ・マルゾが各々担当。出演はバート・ランカスター、シルヴァーナ・マンガーノ、ヘルムート・バーガー、クラウディア・マルサーニ、ステファノ・パトリッツィ、エルヴィラ・コルテーゼ、ギイ・トレジャン、ジャン・ピエール・ゾラ、ロモロ・ヴァッリ、ウンベルト・ラホ、クラウディア・カルディナーレ、ドミニク・サンダなど。日本語版監修は清水俊二。テクニカラー、トッドAO。本国公開題名は、Gruppo di Famiglia in un Interno。2017年2月11日よりデジタル修復版を上映(配給:ザジフィルムズ)。



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ジャンル : 映画

心に残る映画たち(その3)「無伴奏シャコンヌ」

原題:Le Joueur de Violoncello Cello
1994年製作/フランス・ベルギー・ドイツ合作


芸術の本当の意味を追及するため、地下鉄の構内に身を置き演奏活動をするヴァイオリニストの姿を描く作品。
音楽評論家としても著名なアンドレ・オディールの『Musikant』の映画化。


1995年日本公開@東急シネマスクエア
DVDも持っています。
絶頂期のギドン・クレーメルが演奏しており、音楽の監修もしています。
あらすじなどはこちらで。

====MovieWakerより転載
フランスのリヨン。ヴァイオリニストのアルマン(リシャール・ベリ)は、10年前にソリストの代役としてデビューを飾り、以後、第一線で活躍してきたが、芸術家としての自分に疑問を感じ、また同じヴァイオリニストの親友が自殺したことをきっかけに舞台から退いた。彼はメトロの地下道を次なるコンサートホールに選び、自分の欲求のまま演奏し続ける。彼の脳裏に去来するオペラ歌手だった昔の恋人との思い出……。始めは誰の関心も惹かなかったが、やがて通行人の足を止めるようになる。音楽好きのメトロ職員ダロー(ジョン・ドブラニン)との出会い、アルマンの昔の姿を知る音楽家シャルル(フランソワ・ベルレアン)との再会、そして心を閉ざしがちだった切符売りのリディア(イネス・ディ・メディロス)も、アルマンの奏でる音色によって癒されていく。ある日、メトロで停電が起きる。動揺する通行人たちを優しくつつみこむアルマンの演奏。明かりがついた時、アルマンとリディアは自分たちの心が愛情で結ばれていることを知る。翌日アルマンは初めてチェロ奏者と共演、周囲の人々も演奏に参加し音楽の饗宴となったが、リディアはその輪の中に入っていくことができない。しばらくしてメトロで工事が始まる。アルマンは居場所を失い、立ち退きを要求してきた警官にヴァイオリンを叩き壊されてしまった。リディアが仕事を辞め自分のもとから去ったことも知り、悲嘆に暮れる。そんなアルマンの様子を遠くから眺めていたシャルルは、彼に自分のヴァイオリンを差し出す。アルマンに残された道はひとつ、ヴァイオリンを弾き続けることだけしかない。彼はメトロに生きるすべての人々のためバッハの『シャコンヌ』を奏で続ける。人生の喜び、普遍的な愛、そして自分が求めてきた芸術の真の姿をアルマンは遂に見い出すのだった。





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心に残る映画たち(その1)「天井桟敷の人々」

父は映画も好きだった。
自宅にいたころは 父が見る「◎◎洋画劇場」などを門前の小僧状態で一緒に見ていた。
それで自然と名画、というものになじんだと思う。

大学生以降の20代はちょくちょく映画を見に行ったものだ。

そういった中でその後の私の人生に深く根づいた映画は数限りない。
思い出す順にすこしご紹介してゆこうと思う。


まず 筆頭は 「天井桟敷の人々」  だ。
原題は:Les Enfants du paradis
1944年フランス

人間の自由とは、誇りとは、そして恋とは、人生とは。
何より「人間とは」。
19歳の時にある人に映画館に連れて行かれ観て以来、
何度 観たでしょうか。
このシーンは冒頭の方で、旅芸人一座の天才パントマイム役者「バチスト」とのちに運命の恋の相手となる高級娼婦「ギャランス」の出会いともなる場面です。 雑踏で財布をすられた男性が隣にいたギャランスに濡れ衣を着せピンチに陥るところを、一部始終を見ていたバチストがマイムでその状況を説明し、疑いを晴らす名場面です。
このほかにも 後半でギャランスとバチストが再会しやっと結ばれるときに、思いつめるバチストにギャランスがつぶやく名セリフ「恋なんて簡単よ」というシーンも強烈に心に残っています。
ただ、このセリフは映画版の字幕のもので、DVDなどでは訳が違っており(忘れました)、そちらだったらそこまで焼き付いてなかったかも。 映画の字幕の訳ってほんと大事。
原語のセリフ、そういえば調べてませんがなんだったんだろう。
知りたい。
長いので2部に分かれていて途中に休憩が入ります。
バチスト、ギャランスとギャランスの友人の悪党、シェイクスピア役者の4人を軸とし、いろいろな人生模様が描かれ、その中で 人間にとっての本当の尊厳とはなにか、誇りを貫く高潔さは誰に宿るか、といったいろんな命題を学生の私に植え付けた忘れられない作品です。
観たことがない方、知らなかった方は ぜひ一度はどうぞ。
映画史上の最高傑作のひとつではないでしょうか。










テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

銀河鉄道の夜~さそりの話

川の向う岸が俄(にわ)かに赤くなりました。
楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。
まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗(ききょう)いろのつめたそうな天をも焦(こ)がしそうでした。
ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔(よ)ったようになってその火は燃えているのでした。


「あれは何の火だろう。
あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」
ジョバンニが云(い)いました。

「蝎(さそり)の火だな。」
カムパネルラが又(また)地図と首っ引きして答えました。

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。

「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

「蝎って、虫だろう。」

「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」

「蝎いい虫じゃないよ。
僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。
尾にこんなかぎがあって
それで螫(さ)されると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、

お父さん斯(こ)う云ったのよ。

むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて
小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。
するとある日
いたちに見附(みつ)かって食べられそうになったんですって。

さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけど
とうとういたちに押(おさ)えられそうになったわ、
そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、
もうどうしてもあがられないでさそりは溺(おぼ)れはじめたのよ。

そのときさそりは斯う云ってお祈(いの)りしたというの




ああ、わたしはいままで
いくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときは
あんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだを だまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず
どうかこの次には
まことのみんなの幸(さいわい)のために
私のからだをおつかい下さい。




って云ったというの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって
燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。
いまでも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。
ほんとうにあの火それだわ。」




宮沢賢治の小説に繰り返し出てくる自己犠牲、そして死の話がここにも出てくる。
よだかの星 とオーバーラップするものがある。

小学生の頃に読んだ「銀河鉄道」はよくわからなかった。
思春期になって再び読んだとき
さそりの火のエピソードに 深い衝撃を受けた。 ショックともいえるものだった。

その後もこの話は心に深く刻まれ、50代に入った今も 変わらず 根幹に突き刺さっている。





テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

逝く夏の歌

並木の梢が深く息を吸つて、
空は高く高く、それを見てゐた。
日の照る砂地に落ちてゐた硝子を、
歩み来た旅人は周章てて見付けた。

山の端は、澄んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んでくるあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗つておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗て陥落した海のことを 
その浪のことを語らうと思ふ。

騎兵聯隊や上肢の運動や、
下級官吏の赤靴のことや、
山沿ひの道を乗手もなく行く
自転車のことを語らうと思ふ。

   



「山羊の歌」 から。

テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

子供は親を選べない。

人格の基礎は親子関係が基盤というお話。
(ちょっと重たいけど!)

さて当然ですが、子供は親を選べない。
そして子供は親がいなければ生き延びられない存在でもある。

自分の母親は何割か「毒」でした。

うちは女2人に7年離れて男の子の3人きょうだいでした。
私は2番め。「また女」とがっかりされた立場。
ただ、姉と違って私は幼稚園時代から何かと目立つ子で
お遊戯会でも主役、オルガン教室でも一番、
小学校にあがったらお勉強も一番。
チェロを初めたらトントン拍子。
ランドセルは「黒」。

おそらく「長男」の代替で育てられました。
母親の干渉(NOT愛情)だけは凄まじく、潰される瀬戸際。
高校受験前に「音高は行かない。普通高校に行く」と血みどろの衝突で自我を押し通した後も報復措置が何年も続きました。
二言目には「子供なんかいらなかった。」「子供がいなければ離婚した」。

私の思春期の潜在意識は、
親に愛されたい、親に必要とされたい、
「お前がいてよかった」と思われたい、そういう本能的な飢餓感に覆われていたのだと思います。
でも、当時は深層に隠されて自覚しなかった。
   
その飢餓感は一生 私の心の底辺に残ってた気がします。

ですから自分の青春時代は心底きつかったですね。
   

その苦しさと対峙し乗り越えるために精神分析や心理学やカウンセリングの書籍をむさぼるように読みました。
カレン・ホルネイの「自己分析」という本は最初に私を救った本でした。
次にR.D.レインのいくつかの書籍。
特に「自己と他者」は自分との向き合い方、人との向き合い方を根本から変えたかもしれません。
分析からスタートし最終的に河合隼雄のカウンセリング系の本に行き着いてようやく色々と整理がつけられた感があります。
   
  
振り返れば。
  

分析の過程で 母親の精神分析も私なりにしてきて、
母親がなぜそのような事になったかを理解しようとしたことは大切なことだったと思います。
母親の生い立ち、幼い頃からどんな思いと経験を重ねてきた人であるか、父との出会い、いろんな「歴史」をひもとき仮想のカウンセリングをしてゆく。
同時にネガティブな感情を吹き飛ばし後とに自分の中に残る彼女への評価すべきいろんな記憶を丁寧に思い起こして「良いカード」として目の前に並べて行く。

人への評価は常に公平でなくてはなりません。  
    
 
憎悪(当時 憎悪したのは事実です)の対象を精神分析して、
相手と相手を憎悪する自分の理解をすることでのみ、
憎悪を乗り越え最終的に解脱することができるのだと思いました。
許さなくてもよいが理解する。

憎むという事は「対象を求めて得られない何か」を抱えていることです。
愛憎表裏一体とはよく言ったものです。
===
何を求めていたかを受け入れること。
何に飢えていたかを理解すること。
==
知性によって正しく自分や対象と向き合い、
客観的なもう一人の自分を確立することでのみ自分の苦しみから自分を解放できるだと思います。
 
  
母が死んで4年半たちました。
昔良く見た「蜘蛛の巣」の悪夢も見なくなりました。
そして私は母をこれほどに愛していたのかと
今は静かに懐かしく振り返っています。

母にもう一度桜を見せてあげたかった。

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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

宮部みゆきの「模倣犯」

たまたまテレビ東京で宮部みゆきの「模倣犯」(映画)を放映していたので見るとはなしに見ていた。
作業しながらの「ながら見」だ。
ところがどんどん引き込まれてしまい結局作業の手を止めて最後まで見ることに。
良い映画だった。
 
橋爪功さんはやっぱりいい俳優だなあ。
でも一介の豆腐屋にしちゃかっこよすぎるかな。
「ハードボイルドな豆腐屋」


岸部一徳の刑事が犯人逮捕するときのセリフ!

「お前には… うんざりだ。」 

に 妙にシンクロしました。
そして

「あなたはオリジナルじゃないのよ
 模倣犯なのよ!」


と言われた瞬間に自意識の砦が崩壊する犯人。
ははぁ。なるほど。


つくづく、人間て動物の持つ、この「自意識」って怪物は諸悪の根元。

アイデンティテイとは「私はこういうヒトである」と自分で自分を名付けることに過ぎず、
そのような「物語」を必要とする段階ですべての人間とはすでに病んでる。

猫はそんなもの必要としない。
常にあるがままだ。
人間、そもそもが壊れてると思う。

「自意識」 これはいったいいつ目覚めるのか。
生まれたての赤ん坊には猫並に無垢な気がする。
鏡を見たり「あたしってかわいい?」と気にしだす段階は既に病気が始まっているわけだ。

そう。

鏡という代物。

こんなものが存在しなければ人は内側から見た自分と外側から見た自分のバランスを気にすることも無かったろうかと思う。



そんな事を考えさせる作品だった。



テーマ : ドラマ・映画
ジャンル : テレビ・ラジオ

夏至

「夏至」は一番さみしい日だ。
胸の奥がちりりと痛む
死に向かう転換点のような
切ない日。


盛夏に向かおうとする
無垢な心と
冷たく衰退してゆく太陽
あとはただ
夜に浸食されてゆくだけ。

知らぬうちに
すこしずつ喪われゆくかがやき。
まだ大丈夫
とたかをくくっているうちに
消えゆく何か。


夏至の太陽。
さよなら。
さよなら。
私の人生


いまから用意しておくさようならのことば







 
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テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

無神経で無知なるものたち

http://lite-ra.com/2014/11/post-665.html
【東山紀之が“反ヘイト本”を出版していた!自らのルーツと在日韓国人への思いを告白】

>安倍よ。一度、東山の本を読んでみるといい。
>頭の悪いオマエでも、どちらがまともで誇りある日本人なのかがよくわかるはずだ。

安倍とか言わなくても、そこらじゅうにいる想像力に欠けた人間に云いたい。
敢えてとても私的な話を此処に書く。


「うちの女たち」の波乱万丈ぶりには例外はなく、実姉にもそりゃもう波乱の過去があった。
そのひとつが、ヒガシも子供の頃に住んだという、「川崎、桜本」に暮らした時代の話だろう。
前後の経緯は伏せるが、彼女は当時、人目を忍んで、いわゆる在日の青年と暮らしていた。
日本で生まれ育っているが国交断絶の北朝鮮籍だから、帰化も不可能。
「結婚」しようにも国交のない国籍の相手との法律の壁は分厚い。
陽のあたる職業にもつけない。
在日同士のネットワークで助け合って暮らしている。
焼肉屋、ソープランド、パチンコ屋…etc
嫌でもそういった裏世界にしか彼らの居場所はないのだ。


私が彼らのところに遊びに行った時は、一族皆でそれはもう大変に暖かいもてなしを受けたものだ。
(桜本の焼き肉とキムチの美味しさは忘れないよ!)

その当時、ちょうど私は最初の結婚秒読みだった。
相手は同じ会社同期の、ごく普通のピアノの好きなボンボン。
母親の兄(叔父)は今でいうメガバンクの副頭取。

相手のご両親に挨拶に行った時、姉のことを調べ上げてあり、

親戚に朝鮮人の血が入るのはちょっと…
 従兄妹に今来ている縁談にさしさわる


と向こうの母親が難色を示したものだった。
私の両親はリベラルな人たちなので、
「そんな家の人と結婚せんで良い」とひとこと。
彼は彼で、自分の親がそんなことを言う人間とは夢にも思っていなかったらしく衝撃を受けていたっけ。


どこにでもいる平凡な市民がサラリと提示するこういう差別感。

それが日常で無自覚になされるもの。



たまたま姉はその後紆余曲折があり、その青年とは別れてしまったけど、
私には貴重な経験だったのだ。


「私はいいのよ、でも 親戚の縁談に影響が出るのでね」


こういったセリフ。


だけどこんな理不尽難な理由なら「犠牲」を気にせず押し通すのが私にとっての正義。
世の中の皆がそういう選択をしていったら少しはこの世界も暮らしやすくなるのではないのか。


みな自分のことでないものには徹底的に無知で不勉強だ。
無知は「害悪」であり、大きな罪であるということを 声を大にして言いたいのだ。








テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

花束

春の庭の花に胸をときめかせながら
花束を作った
逢うことのない あのひとに向けて


あのひとは
なぜ 摘むのかと いぶかしがる

「庭で咲かせておけばよいのに・・・・」


美しさを
ひとつの花束に凝縮して
あのひとに 伝えたい
ことばにならない私の想い


在るだけで美しいもので充分なら
音楽家も作曲家も画家もいらぬ
鳥の声や 風の音
ただ 皆 あるがままに聴けばいい
完全無比な神の芸術


それは
在るがまま では満たされぬものの所業
不完全な存在の業



私は 花を摘む
ただ「在る」だけでいられぬから

今日も花束をつくる
誰かに伝えねばいられぬから



春の庭2015






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テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

枯木と風の歌<立原道造>


私はうそをつき芝居をする
自分をゆるしたすべてのお前に
私は黙って立つてゐる
ちようどおこつた子供のやうに

枝は何と邪魔なのだらう
うつかりするとそれは裏切る
私はにくしみの言葉を捨てて
風にささやきかける


あれは祈りだ 誘ふ者に
そしてしづかにもう一度
水に映つたかげを眺める
いつまでも揺れないやうに


    *


私がそんなに駆けるときに
お前はなんと悲しさうなのだ
お前はぢつと残つて 啞(おし)のやうに
たゞ身を揺るばかりなのだ

- - - - -









テーマ :
ジャンル : 小説・文学

鴎(かもめ)<三好達治>

ついに自由は彼らのものだ 
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ 
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ 
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ 
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ 
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ 
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ




 三好達治 著 詩集「砂の砦」より




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ジャンル : 小説・文学

涙  <石原 吉郎>

レストランの片隅で
ひっそりとひとりで
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にはわからなくなるのだ
分からないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ





                  石原吉郎 詩集/「満月をしも」

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ジャンル : 小説・文学

石原吉郎のことば

大量殺戮のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある。 そしてその罪は、ジェノサイドを告発する側も、まったくおなじ次元で犯しているのである。 戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命にたいする罪である。およそその一点から出発しないかぎり、 私たちの問題はついに拡散をまぬかれない

              『望郷と海』 (石原吉郎)

望郷と海 (始まりの本)望郷と海 (始まりの本)
(2012/06/09)
石原 吉郎

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憎むとは 待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ 
                       -「待つ」


詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことばであるといってもいいと思います。もっとも語りにくいもの、もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、ことばにこのような不幸な機能を課したと考えることができます

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詩人が常に自分の作品の最終的な責任者であるかというと必ずしもそうではありません。作品の中には作者が最終的に責任を負いきれない部分があるのがふつうですし、その部分は、読者にとっても作者にとっても難解な部分であり、しかもその部分によって作品全体が支えられている

                      ー「沈黙するための言葉」

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)
(2005/06/11)
石原 吉郎

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募金箱

 
胸に 鉛のかたまり
私を押しつぶそうと
常にのしかかる
重苦しいなにか
 

声にならない叫びに
胸が焼け付き
息もできぬ
 

   
   自分の命が重荷になり
   「募金箱」を探してみたが
   あいにくと 
   そんなものは 見つからぬ
 

 
捨てるに忍びず
今日もありもしせぬ「募金箱」を探し
さまよう


募金箱

テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

若さ かなしさ<永瀬清子>



東京の小さい宿に私がいた時
あの人は電話をかけてきて下さった
あの人は病気で私に会いに来れないので
それで電話で話したかったのだ


かわいそうにあの人はもう立てない病気
それでどんなにか私に会いたかったのだ
こんどはどうしても会えないよと
とても悲しそうに彼は云った


あの人は私よりずっと年上だし
学識のあるちゃんとした物判りのいい紳士
そんなに悲しい筈はないと若い私は思っていたのだ


過ぎゆく人間の悲しさを
私はまだ思いもせずに
長く長く電話で話す彼に当惑さえしていた
そして片手の鉛筆で
何か線や波形を描いていた


枯葉のように人間は過ぎていく
その時瀕死の力をこめて私を呼んでいたのに
そして波のように私にぶつかりなぐさめられたかったのに―――
「人間ってそんなものよ」「病気ってそんなものよ」


私はああ、恐ろしいほどのつめたさ
若さ、思いやりのなさ
そそり立つ岩さながら―――

私を遠くからいつも見つめていたそのさびしい瞳に
それきりおお  私は二度と会うことはなかったのだ





あけがたにくる人よ (思潮ライブラリー 名著名詩選)あけがたにくる人よ (思潮ライブラリー 名著名詩選)
(2008/06)
永瀬 清子

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詩集を開いたときに 飛び込んできたこの詩。
ああ私もどれだけ年を取ってきて、この苦い思いを噛みしめていることか。

若さとは、傲慢さ、思い上がり、他者への思いやりのなさ。



テーマ :
ジャンル : 小説・文学

あけがたにくる人よ<永瀬清子>


   あけがたにくる人よ
   ててっぽっぽうの声のする方から
   私の所へしずかにしずかにくる人よ
   一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
   わたしはいま老いてしまって
   ほかの年よりと同じに
   若かった日のことを千万遍恋うている

   その時私は家出しようとして
   小さなバスケット一つをさげて
   足は宙にふるえていた
   どこへいくとも自分でわからず
   恋している自分の心だけがたよりで
   若さ、それは苦しさだった

   その時あなたが来てくれればよかったのに
   その時あなたは来てくれなかった
   どんなに待っているか
   道べりの柳の木に云えばよかったのか
   吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

   あなたの耳はあまりに遠く
   茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
   通りすぎていってしまった

   もう過ぎてしまった
   いま来てもつぐなえぬ
   一生は過ぎてしまったのに
   あけがたにくる人よ
   ててっぽっぽうの声のする方から
   私の方へしずかにしずかにくる人よ
   足音もなくて何しにくる人よ
   涙流させにだけくる人よ




あけがたにくる人よ (思潮ライブラリー 名著名詩選)あけがたにくる人よ (思潮ライブラリー 名著名詩選)
(2008/06)
永瀬 清子

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黒猫

Author:黒猫
このブログはHPから詩の部分だけをまとめました。

10代の頃からこれらの詩はいつも自分の中にありました。
私の中にとけ込んだ詩人たちんの言葉と私自身のつたないことばだち。

八木重吉の「秋の瞳」序文ではありませんが、このつたない詩を読んでくれたあなた  私を心の友としてください。

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